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March 29, 2012

山梨県 増穂西小学校からの手紙

富士山を望む小学校から手紙が届いた。

「中矢 匡 さんへ
世界のお話をしてくださって、ありがとうございました。
私が一番印象に残っていることはインドでの話です。
今、私は日本にいて、めぐまれている生活わしていて、びんぼうな人とくらべるとゆうふくですが、
インドでは家もお金も無くて、道でくらしているびんぼうな人達がいるんだなぁ…と思いました。
そして、自分の子供の手や足を切ったりする事は、ちょっと胸が痛かったです。
ですが、こういうお話を聞いてあらためて「命の大切さ」が、わかったような気がします。
本当にありがとうございました。
これからも、世界じゅうをかけめぐってください。」

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城西六人衆

久しぶりに集まって飲んだ。
このメンバーが城西中でやってたのは、もう13年も前になるのか。

「あの頃は、楽しかったなあ。」と話す。
この頃に教えた生徒たちもよく店に来る。

あの頃、自分のテーマは、「学校は楽しくなくてはいけない」、だった。
今は、「人生は、楽しくなくてはいけない」。

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March 23, 2012

石巻小児童からもらった感想文 (ロレンス宛)

今日は、三、四時間目に、世界を回る、ロレンスさんという人に話を聞かせてもらいました。
ぼくは朝の会の時におなかがいたくて朝会がおわったあとも安心してじゅぎょうをうけることができませんでした。
なのでほけんしつでねていました。
ローレンスさんは、えひめ県しゅっしんで、いったことのある国といったことのない国を分けて見せてくれました。
そのあと、みずぬま先生やじゅんこ先生が、外国の人にばけて出てきました。
ぼくは頭がいたくて、あとからまた、ほけんしつに行きました。
ほけんしつで、はいたら頭がいたいのがなおりました。
そしておべんとうを食べる時には、ローレンスさんと二組のみんなといっしょに食べました。
ぼくはローレンスさんに、
「なにかしつもんしていいよ。」
と、言われたので、
「マチュピチュには行ったことはありますか。」
と、ききました。そしたら、
「はい。」
と、ローレンスさんはこたえてくれました。
ぼくは三四時間目に、ちゃんときけなかったけどきゅうしょくの時にいっぱいきけてよかったです。
今度は、ちがう話をきいてみたいです。

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石巻小児童からもらった手紙 「いろいろな世界の話」

私は、世界について今日いろいろ分かりました。
ありがとうございます。
モンゴルのゲルは、組み立て式だと分かりました。
じゃんぐるでは、トラがいるのでこわいと思いました。
エジプトでは、アルミホイルの上にたまごをわると、めだまやきができるぐらいあついことが分かりました。
いろいろすごいと思いました。
いろいろなふくそうがすごかったです。
あと、おばあさんと、おじいさんが、うそをつかない、ぬすまないというもくひょうがあることがすごいと思いました。
じらいのこともよくわかりました。
あぶないと思いました。
インドでは、きたない水があるのに、あびていてすごいと思いました。

そして、命は大切だと思いました。

これからも命を大切にしていきたいと思いました。
わざわざ、石巻小学校に来てくれてありがとうございました。
世界のことをもっと調べてみたりしたいです。

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しぼりたて浦霞

宮城の地酒だ。
いくつか飲んだ宮城の地酒の中で、これが一番気に入った。
冷でやるのがいい。

塩釜の宿から歩いて行ける所に蔵元があった。
この辺りも被災地で、酒蔵も塩水につかったようだ。
米を作ることも、酒を造ることも大変だったろうと思うが、とにかく美味い酒ができた。

2升持って帰ったので、シェイラで出します。
辛抱強い宮城の人たちが作った酒の味を味わってみてください。


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March 19, 2012

無事帰ってまいりました。

3.18、名古屋から大阪へ。
ミナミで「神座」のラーメンと「わなか」たこ焼きをゲットする。
大阪から香川へ。
丸亀の「味見亭」で讃岐うどんをゲットする。
そしてついに、ついに帰ってきた。
18日夜11:30、松山自宅に無事到着。

15日間。
走行距離‥3750km。
立ち寄った都道府県‥愛媛県、徳島県、兵庫県、大阪府、和歌山県、奈良県、滋賀県、三重県、愛知県、岐阜県、長野県、山梨県、埼玉県、東京都、栃木県、福島県、宮城県、茨城県、千葉県、神奈川県、静岡県、京都府、岡山県、香川県。
47都道府県のうち、実に24の都道府県に行った。

夫婦ともに体調をくずし、みなさまにご心配をおかけしました。
記事もリアルタイムを心掛けたものの、少し遅れてしまいました。
今回の旅で得たものは多く、記事としてさらにまとめていきます。
明日19日より、匡もシェイラに立ちますので、是非、旅の話を聞きに寄ってください。

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名古屋パニック!

3.17、横須賀防衛大から名古屋へ。
車を駐車場に止めて栄にくりだす。
ところが駐車場に帰ってビックリ!
消防車が2台集まり、警察官も多数集合。
私が車を止めた付近から、消火用の泡が噴出している。
原因はわからないが、大騒動だった。
泡の撤去までおびただしい時間を要したが、車には特に被害なく脱出することができた。
えらい遅くなり、着替えもなく洗濯も難しいので、ドン・キホーテでパンツと靴下を買い、近くのラブホに泊まった。

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防衛大学潜入

3.17、すべて終わったので松山を目指すのだが、ちょっと寄り道をした。

この日は、多賀城駐屯地前で飲んだ自衛隊員の教え子と会い、そいつの母校である防衛大へ行った。
明日の卒業式へ向けてのパレードの練習風景を見せてくれようとしたのだが、あいにくの雨で見れなかった。
それでも国防の中枢となるエリート養成機関に、初めて入ったことで興奮した。
学校の敷地内に戦闘機や戦車がある!!

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杉並高校生徒感想文

私は、最近になって世界を旅したいなと思いました。
今日の講演により、その気持ちはより強いものになった。

パレスチナの人々は争いを繰り広げながら危険な土地に暮らしている。
それなのに外国人を「Welcome!」といって歓迎できるのはなぜだろうか?
今の日本にその気持ちはあるのだろうか。

この疑問は、カルカッタとパラグアイの話を聞いて考えるべきものだと思った。
名前も未来もない子供や老人たちがひたすら道で物乞いする。
一人にあげれば何人何百人もの人々も求めてくるその土地で、善は偽善になってしまうだろう。
私がカルカッタを歩いたならば、泣き崩れてしまうと思う。

世界は大きく変わってしまった。それは、地球の反対に位置するパラグアイの日本人たちを見ても感じる。
「嘘をつかない。物を取らない。」これこそ日本人だと、日本に住んでいる私たちはいえるだろうか。
パラグアイに住んでいる日本人に言えるだろうか。

今の私たちは、外国人を迎えられるような大きな心をもっているのだろうか。
今日の話で私は、自分の人生を恥ずかしく思った。
私よりももっと小さい子供が、弱い老人が、もっと重いものを背負っている。
それを前から知っていたのに、目を背けてきてしまった。

だから、私も世界を旅しようと思う。
それが重くても、人に伝えられることができなくても、きちんとこの目で現実を見たい。

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都立杉並高校講演

3.16、杉並高校の1年生7クラスを対象に、90分の講演をした。
旅芸人中矢一座の日本縦断巡業、最後の興行となる。

都会の平均的な学校のようだが、「少しお利口で、少し裕福な家庭の子供たち」という印象をもった。
生徒らは、学年末試験後のユルイ空気。
出力40%くらいで、1日を過ごしている。
そこに、東北でアツアツになった出力120%の匡を投入する。
一部の聞く気のない生徒にビシビシ激を飛ばし、強引に注目させる。
集中する生徒は多く、後半は盛り上がり、一体感を感じた。
ライブ感覚でやっているため、その対象に対して言いたいことが強く出てくる。
「満たされた生活の中、自分はそれで精いっぱい生きていると言えるか!?」
こんな感じのニュアンスが強く出たようで、生徒の感想を後で見せてもらったら、ほとんどの生徒は、自分を振り返っていた。

外から見るとドライな生徒らだが、感想文は、みんな素直で人間的だった。
今日も楽しい1日だった。

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March 18, 2012

中矢夫婦復活!?

3.15夜。
大人しくしていたおかげで、夫婦とも体調はずいぶん良くなった。
といっても、けい子は、よたよたとしか歩けないが‥。
実は匡も、まぐろ丼以降は食欲もなく、3日間は、2人とも麺ばかりで過ごしてきた。

復活の儀式は、亀有で!
けい子の弟が、いきつけの居酒屋で御馳走してくれる。
両さんが元気に迎えてくれた。

出てきた北海の珍味は、見事だった。
ホタルイカ、マグロの脳天、タイラ貝等々の刺身。
だいたいわれわれ夫婦は、特にけい子は、食欲で旅を乗り切る。
食べられなくなったら終わりだ。
目の前の御馳走を一気に食べた。
もう大丈夫だろう。

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March 17, 2012

中矢夫婦ピンチ!?

3.13は、3校を大忙しでまわった。
すべてのミッションを終えた後、匡も熱を出した。

3.14、ついに宮城を後にして、東京を目指す。
福島の山も美しかった。
元気なら南相馬など訪ねたかったが、よれよれの夫婦はあきらめた。
それでも少しだけ遠回りして、福島県のいわき市の海岸線を走った。
海岸近くの畑では、おばあちゃんが畑仕事をしていた。
Jビレッジ近くまで行ったが、そこそこに引き上げた。

水戸に少し寄り、東京に到着。
ほっとしたのも束の間、翌3.15の朝、けい子が足の激痛を訴え病院へ。
まさかの「肉離れ」!!
いったい何故!?

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渡波中学校サッカー部を訪ねる。

3.13、住吉中講演の後、渡波中を訪ねた。
ここのサッカー部に、垣生中からのメッセージボールを渡す。

渡波小と渡波中は、校舎が全壊したため、稲井中と稲井小のある敷地に引っ越している。
一か所に4校の子供が集まっている。
渡波中は、現在、グラウンドの真ん中に建てた仮設校舎で授業を行っている。
部活動は、仮設校舎を境に、2つの中学校が分かれて活動している。

校長先生と話をした後、サッカー部に対面。
2年生キャプテンにボールを渡す。
「メッセージさっとを読んでくれたら、すぐ使ってもらって、ボロボロにしてください。」
ボールに群がって書いてある文字を読んでいる。
ミニゲームにも入れてもらった。
こんなこともあろうかとサッカーの道具一式は、持ってきていた。
相手に1人上手い子がいて、匡は激しくチャージした。
その子も転倒しながら必死にプレイする。
楽しかった。
練習後、
「今日のゲームがいつもより楽しかった者。」
と聞くと、みんな手をあげた。

稲井中にサッカー部がなかったため、この敷地内には、サッカーゴールがない。
中学生用のサッカーボールもなかった。
それでもみんなサッカーが好きなんだろう。
これからも遠く離れた地で、お互いサッカーを続けよう。

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March 14, 2012

住吉中講演 ~後篇~

自殺、移民の苦労、戦乱、貧困。
ネガティブな要素を含む話も、全てした。
生徒らは身を乗り出し、食いついて聞いている。
私の集中も高まる。
80分は、あっという間だった。

「3.11以降、被災地のことしか自分の頭には、入ってきませんでした。
何かできないかと考えましたが、1年間何もできないできました。
そして、やっとこの場所に来ることができました。
今日ここで私が話したことが、みなさんの今後の人生の役に立つことを願っています。」

一人の女子生徒が感想を述べた。
「自分のこれまでを振り返ることができました。
これまでの自分は、やはり甘えがあったように思います。
これからは、自分のできることはやっていきたいです。」

また一人の女子生徒は、
「新聞にもテレビにも映っていない世界があることが分かりました。
そして世界には、私たちよりも困難な状況で暮らしている人たちがいることを、今日知りました。」

サッカーボールは、2年生キャプテンが受け取った。
新人戦は、宮城県3位だったらしい。
エールを送った。

最後に夫婦そろって檀上で花束をいただいた。
こんなことになるとは、思ってもみなかった。
支援しに来たつもりが、花束だけでなくいろいろなものをもらったように思う。
私も全エネルギーを放出したが、生徒たちからも力をもらった。
確かに生徒は甘えをもっていたが、どこのだれよりも強い「生きる意志」も感じた。

教頭先生が、生徒の感想文を郵送してくれるそうだ。
とても楽しみだ。

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March 13, 2012

住吉中講演 ~前篇~

3.13、石巻小から住吉中へ
先日、卒業式を見せていただいた学校だ。
今日は、在校生全員を対象に講演させてもらう。

先生方が民族衣装で現れ、オープニングは楽しく始まった。
大部分の生徒は興味を持っているのだが、一部の生徒は後ろを向いて話をしている。
騒がしいわけではないが、私がどうにも集中できない。
ホントは話が面白くなってくるところなのだが、途中で止めた。
静寂の後、

「オモシロないか?
おっちゃんはなあ、愛媛から1500km運転してここまで来たんや。
わしがもらった時間は、80分。
その80分に、わしの人生の全てをぶつけようと話をしよる。
聞きよる者もおるんや。
興味ないかしらんが、邪魔だけはせんでくれ。

わしには、そういうのは甘えにしか見えん。
自分や自分たちの可能性を潰しとる。
だから怒る。」

笑える雰囲気は、あまりなくなったかもしれないが、こちらが本気だということだけは、伝わったようだ。
話を続けた。

「私は、本気で自分を相手にしてくれた先生や友達のおかげで、ちょっとでもまともな人間になれたと思っている。
だから私も真剣に相手したい。」

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石巻小再び

職員室の先生方に、丁寧に迎えていただいた。
私は、サッカーボールを。
三浦先生からは、3年生の感想文をいただいた。
これは宝物になるなあ。
ホントは、子供たちにボールを渡す予定だったのだが、3年生は、インフルエンザにより、学年閉鎖。
今日は会えなかったが、またいつの日か会えることを願っている。

石巻小ホームページ
http://www.mediaship.ne.jp/~elsishi/
こちらにたくさん載せてもらっているので、ぜひご覧ください。

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3個のサッカーボール

愛媛から持ってきた。
フクヤスポーツのチームメイトが、そういうことならと安くしてくれた。
1つは、垣生中から交流校の渡波中へ。
あとの2個は、講演した石巻小と、これから行く住吉中へ。
今出大神輿の仲間からもらったお金も使わせてもらった。

3月13日、これから3つの学校をまわり、ボールを渡す。

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まぐろ丼

石巻までの距離と金額で決めた塩釜の宿だが、ここは海産物が豊富なところのようだ。
きはだまぐろの水揚げが、日本一とは知らなかった。
宿の前に「塩釜まぐろ直売・食堂」というのがあり、解体販売している。
すき身と中落ち、づけの炙りをのせたこのどんぶりは、780円。
けい子体調不良のため、匡だけが食べた。
見た目通り旨い。

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多賀城駐屯地に潜入

12日午後、多賀城駐屯地内部に潜入を果たす。(簡単には入れない)
広報担当の隊員に、案内をしてもらう。
この駐屯地自体が被災を受けたので、3.11からの活動は困難を極めたそうだ。
駐屯地内の資料館には、救済活動を記録した写真や被災者や全国からのお礼のメッセージが展示されている。
10日の国防夜会に参加した隊員も、わざわざ会いに来てくれた。
広い駐屯地内を、迷彩の軍服を着た隊員が行きかう。
市街戦用特殊車両も走行している。
駐屯地内には、コンビニや散髪屋、カフェもある。

私は、戦争が嫌いだ。
人命を奪う兵器も、もちろん嫌いだ。
だが現在、世界は平和ではない。
力を持たぬ者が大切なものを奪われる姿を、たくさん見てきた。
我々の大切なものを守るためには、力もまた必要であると思う。

救済活動が国民の目に映り、ようやく彼らが評価された。
ずっと以前から彼らは、我々を守り、我々のための活動をしてきた。
本来、評価されるべき者たちだ。

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ああ松島や

11日から塩釜で3泊する。
地理的には、仙台 ~ 多賀城、塩釜 ~ 松島 ~ 石巻、となる。
石巻での宿泊は難しいので、少しでも近く安い所にした。

12日しか空いている時間がないので、松島に行こうと言っていたら、けい子が体調を崩して熱を出した。
朝から病院に行った。
おとなしくしなくてはいけないのに、せっかくだからと松島に寄った。

正宗公が再建した五大堂から、松島を臨む。
美しい。
この景色が残っていることが、奇跡としか思えない。

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March 11, 2012

3.11

この日は、1日中、石巻にいた。
被災地を踏みしめながら歩いた。
お寺からは、太鼓の音とお経が聞こえてくる。
喪服を着た人もたくさんいる。

コンビニでおにぎりを買い、更地を見ながら食べた。
昼過ぎに日和山に登り、ゆっくりと眺めた。
日光東照宮のお神酒をやった。
地面にも撒いた。
たくさんの人が集まってきた。
三浦先生の家族にも会えた。
石巻小の3年生には会わなかった。

14:46を迎える。
サイレンが遠くから聞こえる。
集まった人々は皆、海の方向を眺め、そして黙祷した。

更地に降りて、高野山の線香をあげた。
三浦先生が、前にこう言っていた。
「なにをして欲しいわけじゃない。被災地のことを忘れないでほしい。」
忘れないでいよう。

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自衛隊員との夜会in多賀城駐屯地前

3月10日夜、宿を多賀城駐屯地前に移し、夜会に赴いた。
ここで5人の兵士たちとホルモンを食べることになっている。
兵士のうち1名は、城西中の教え子。
かつてここに駐屯していたが、現在は、横浜の大学院に通うという任務についている。
今回の私の東北遠征に合わせて、今晩だけここにやって来た。
奴が、今宵のために集めた精鋭部隊。
任務はさまざまだが、皆熱い魂を持っている。

みなさんご存じのように、3.11以降、何よりも活躍した組織「自衛隊」。
かつては、存在が違法だとか、人殺し機関だとか言われることもあったが、今、彼らの存在意義を疑う日本人はいないだろう。
彼らの活動の軌跡を聞かせてもらった。
被災地において、彼ら以上のヒーローはいない。
「人命救助」のテーマを掲げ、誰よりも早く強く活動した。
それでも、葛藤の日々であったらしい。
たとえ家族の安否が分からずとも、自分に与えられた任務を遂行する。
同僚の隊員の遺体を乗り越え、一般人の救出に向かうこともあった。

呼吸停止している老人を発見した。
蘇生する可能性はほぼないが、0ではない。
そこで本部に確認し、受けた命令は、「先に進み、救出の可能性の高い人命救助にあたれ。」
現場を後発部隊に託し、前に進んだ。

その命令が正しいのだろうと私も思う。
ただ、老人を置いてゆく時の気持ちは、どれほどのものだろう。
彼らは、自分自身の心を痛めながら、国民の命と国家を守っている。

肉を食らい酒を飲み、命について、人生について、国家について語り合った。
彼らのような若者が、この国にいることを誇りに思う。
多賀城駐屯地
http://www.mod.go.jp/gsdf/neae/6d/kakusta/tagajo/tagajo.htm

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渡波中学校卒業式

波打ち際に建てられた学校だった。
目の前は砂浜で、海水浴場だった。
毎日、校舎の窓からは、海が見えたことだろう。
校舎のあった場所には、昨日行ってみたのだが、廃墟となっていた。
講堂も無残に破壊されていた。

渡波中は、稲井小のグラウンドに仮設校舎を建て、バスで集団登校し、なんとか授業を受けてきた。
卒業式は、稲井中の体育館を借りるので、午後に行われた。

生徒6名の命を失った。そのうちの3名が卒業するはずだった。
答辞の女の子の言葉。
「3人の友人には、さよならも言えないままです。
明日、何が起こるか分からないということを思い知らされた1年間でした。
だからこそ、みんなと一緒にいられる今を大切に思えます。」

こちらの学校は、匡が外部コーチをしている垣生中学校の交流校なので、13日に垣生中サッカー部のメッセージを書いたサッカーボールを渡すことになっている。
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住吉中卒業式

3月10日、宮城では雪が積もった。
今日も、仙台から石巻へ向かう。

こちらの中学校で、3月13日に講演させてもらうことになっている。
どんな学校で、どんな生徒たちなのか。
そして、被災地の卒業式とは、どういったものなのか。
我々も参加させていただいた。

校長先生の言葉によると、野球、サッカーはじめたくさんの競技で石巻市で優勝しているようだ。
最後の卒業生たちからのメッセージ。
涙を流しながら顧問の先生に感謝の言葉をのべる生徒がたくさんいた。

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がんばろう!石巻

復興するぞ!

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お供え

何も無くなり更地となったが、ひとつひとつの場所には、すべて特別な意味がある。


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門脇小学校

この辺り一帯は、炎に包まれたそうだ。
門脇小の先生方も、子供たちや地域住民を、命がけで日和山に避難させたらしい。

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日和山から

日和山から石巻を見下ろす。
子供たちの言っていた通り、更地に道が通っているだけだ。
たくさんのお墓だけは、新しく作られている。

日和山の手すりにメッセージが書かれていた。
「全国のみなさん救援ありがとう!」


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石巻小ランチ

三浦先生が、我々のお弁当を作ってきてくれた。
みんなで一緒にご飯を食べた。
給食は再開しているが、今日は子供たちもお弁当の日。
我々がどの班に入るかのジャンケンも熱闘だった。
班の子といろんなことを話した。

匡    「日和山ってどこにあるの?」
子供たち「あっちー。」
日和山は、校区内にある石巻が見下ろせる場所だ。追悼式もここで行われるらしい。
匡   「明後日(3.11)は、みんな日和山に行くの?」
子供A 「うーん。」
子供B 「日和山には、みんな行かなくなったの。‥景色が変わったから。」
子供C 「ようは、更地なんですよね。そこに道があるだけで。」
子供たちは、言葉を選びながら、そのニュアンスを私に伝えようとしている。
8才の子供たちは、明るく無視邪気な一面と、繊細で思慮深い一面をもっている。


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March 10, 2012

石巻小「記念撮影」

みんなで記念撮影をしよう。

わじゃわじゃと並ぶ。

世界の仲間たちとみんなでチーズ。

あいさつもしっかりできました。

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石巻小「世界の衣装展」

松山から運んだ民族衣装を、子供たちに着せる時間をつくった。

先生「衣装を着てみたい人!」
児童「はーい!!」

ほとんどの子は着れなかったのだが、友達が着るので、みんな嬉し​そうだ。

大騒ぎの中、
選ばれた数人が衣装を身にまとった。
まわりから声援がとぶ。


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石巻小ディスカッション

講演の後、子供たちの質問に答えたり、感想を聞く時間があった。

まだ見ぬ世界に、とても興味を持ったのだろう。
次々と手があがる。
「バチカンは小さい国なんですか?」
「ガンジス川に流れる死体を、足で踏みましたか?」

ある女の子は、2つの事が、心に残ったそうだ。
1つは、
「ガンジスに集まる人たちは、死体と糞尿で汚れた水を、聖なる水として浴びること。」
もう1つは、
「地球の裏側に移り住んだ日本人は、どんなにつらくても、嘘はつかず、盗みはせず、生き抜いたこと。」

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石巻小学校講演

3年生を対象に話をした。
2クラスなのだが、ちょうどインフルエンザが流行って、欠席者が多いらしい。

子供たちの食いつきは、すごかった。
ハイテンションのまま話は続き、途中休憩を挟もうとしたら、
「休憩いらないから続きを聞きたい。」
ということで、3、4校時ぶっ続けで話した。

子供たちの笑顔が見えた。

ここに来てよかった。

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石巻小学校

校長先生が我々を迎えてくださった。
玄関には、全国から届いた救援物資も置かれている。
積まれた箱は、経口補水塩。緊急時には、これだけで命をつなぐことができる。
石巻小学校は、石巻市の中心地にあり、校舎自体は、浸水の被害を受けるにとどまったそうだ。
運動場もプールのようになり、水は1mほどの深さだった。
被災直後には、ここが避難所として機能した。
先生方も被災者なのだが、自分の家族や家のことよりも、まず救援活動を行った。

3.11は学校が休みなので、今朝、朝礼で追悼を行った。
内容が書かれたプリントをいただいた。
その中に書かれた一文。

「みなさんの命は、先生方が必ず守ります。」

教師は、聖職者なのだと改めて思った。
子供たちは、それを信じているから、今日も学校に集まるのだろう。

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石巻へ

3月9日、朝早く仙台を出る。
仙台から石巻まで50kmほどなのだが、車で90分かかった。
講演の前に、石巻の町(のあったところ)を見てまわった。

何も無くなった。
破壊の限りを尽くした津波の傷跡も残るが、ほとんどのものは、撤去され、更地にした。
海岸線には、瓦礫の山が作られ、車の残骸が集められている。
ここまでが大変だったことだろう。

この町の子供たちに、これから話をする。


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March 09, 2012

仙台へ

3月8日、日光東照宮を拝観した後、仙台を目指す。
やはり、北に行くほど寒くなる。
高速の休憩所には、たくさんの雪が残っている。
福島を超え、宮城へ。
そしてとうとう、杜の都仙台にやって来た。
なにはともあれ、牛タンを食べた。

明日は、いよいよ石巻へ。
石巻小学校での講演だ。

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日光東照宮

夫婦共に、まだ行ったことがなかった。
こんなチャンスをのがしたら、一生訪れることはないかもしれない。
そんなふうに思って、寄ってみた。

雪をまとった家康のお墓は、絢爛豪華であり、また趣もある。

3匹のサルが、「見ざる」「言わざる」「聞かざる」と言っている。
私の旅は、「見て」「聞いて」「しゃべって」だ。

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March 08, 2012

山梨~東京~栃木

山梨から東京へ。
けい子の弟と急きょ連絡をとり、上野で会って飯を食べた。
匡がビールを飲んだので、運転は、けい子と交代する。
その後、栃木へ。
宇都宮についたのは、夜中の1時過ぎ。
「ラブホテル」という施設に転がり込み、数時間眠った。
ぎょうざを食べる間もなかった。

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増穂西小学校講演

3月7日の講演には、全校児童の出席者10名が参加した。
日本にも、まだこのような学校があるのだ。
観客は10名だが、出演者は8名という豪華なステージができた。
子供たちは、とても興味をもって聞いてくれた。
感受性も強いのだろう。後半には、しんみりとなった。
講演後も、先生たちと語り合った。
薄暗くなるころに山を下り、東京を目指した。

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増穂西小学校

山梨県富士川町は、川沿いに発達した町だ。
その中心部から南アルプスへ向かって、7キロほど登る。
平林という集落があり、そこに増穂西小学校がある。
横長の緑の屋根が、明治時代に建てられたという小学校の校舎。
晴れていれば、ここから富士山が見える。

玄関には大きな看板があり、校長先生とともに我々を迎えてくれた。

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March 07, 2012

山梨夜会

3月6日、山梨県富士川町にやってきた。
町の中心部にある温泉宿に泊めていただく。
増穂西小の校長先生とご飯をご一緒させてもらった。
行きつけの居酒屋さんで、特産の馬刺しや、トリのモツ煮もいただいた。
お知り合いの方も合流し、盛り上がった。
初対面なのだが、距離が一気に縮まる。
増穂の文化、気質が分かった気がした。


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諏訪湖

3月6日、山梨へ向けて中央フリーウェイを走る。
長野に入り、山に囲まれる。
ようやく太陽がさしてきたが、路肩にもまだ雪が残っている。
途中寄った諏訪湖は、きれいだった。

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柿の葉寿司

紀見小の教頭先生の奥さんから、柿の葉寿司をいただいた。
和歌山から山梨へ向かう高速道路の途中で、開けて食べた。
酢飯に鯖と鱒を乗せ、柿の葉でくるむ。
柿の葉の香りがして、上品な味だ。

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和歌山夜会

3月5日の晩は、紀ノ川を望む民宿に泊めていただいた。
その民宿で、紀見小の先生方と食事会があった。
溶岩焼きの御馳走をいただき、ビールを飲み、世界や教育について語り合った。
いつまでも語り合ったが、それでも語り足りなかった。

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March 06, 2012

高野山

紀見小学校講演の後、教頭先生に勧められて高野山に寄ってみた。

弘法大師空海が修行の場として開いた仏教の聖地。

「大門」をくぐり、「壇上伽藍」をまわった。
荘厳な建物と巨大な杉が、霧に煙る。
「金剛峯寺」を内拝し、帰りに線香を買った。
東北での追悼で、使うつもりだ。

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March 05, 2012

紀見小学校講演

紀見小学校ホームページ
http://www.edu.city.hashimoto.wakayama.jp/kimi-es/
に掲載されたものをそのまま載せます。

愛媛県松山市から中矢さんが紀見小学校へ来てくださいました。
 世界70カ国をめぐり、体験したことや心に刻んできたことを
多くの人に伝えたいという強い思いをもって、熱く児童の皆さんに
語っていただきました。
 アラビアのロレンスとして最初に登場。
次に、民族衣装を身につけた先生方8名が色々な国の言葉で
挨拶をしていきました。児童たちの目も心もクギ付けとなって
たくさんの写真や映像も通して話してくださったので、
興味深く聞きいることができました。
 人の命、人間として・日本人としての生き方、いろんな国の
いろんな人との出会いから学んできたことを、伝えてくださいました。
児童の皆さんは、中矢さんのお話から、自分の普段の生活や生き方を
考えなおしたり、振り返ったり、今後の生き方に結びつけて考えてみたり・・・
 とても深い学びとなりました ありがとうございました。

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和歌山へ

3月4日、民族衣装を北高に貸していたのだが、回収に手違いがあり、
夕方4時ごろ出発する予定が、なんだかんだで2時間遅れてしまった。

東北の雪を心配して、友人が履かせてくれたスタッドレスタイヤで、
雨の中、高速をひた走る。

橋本市に着いたのは、夜中の12時30分。
こんなにも迷惑もをかけた私たちを、初対面の教頭先生夫婦は、快くビールで歓迎してくれた。
翌朝、手作りの朝ごはんをご馳走になり、お腹はパンパン。
軽トラの教頭先生とともに、紀見小学校を目指す。

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March 01, 2012

東北へ… 旅芸人が行く

3月11日の未曾有の大震災から、1年が経とうとしている。
テレビで被災地の情報を知り、自分も何かできないものかと悩んでいた。
ボランティアに参加することも考えたのだが、自分なりの役に立ち方を模索していた。

「世界の話を被災地でできないものだろうか。」

たくさんの人と話した。
たくさんの人の協力の下、各地の学校での講演が実現しそうだ。
旅芸人中矢一座が、東北を目指し、日本各地をまわる講演の旅に出る。

3月 4日、自家用車で松山出発。
   5日、和歌山県 橋本市 紀見小学校で講演。
   7日、山梨県 南巨摩郡富士川町 増穂西小学校で講演。
  11日、石巻市で追悼式に参加。    
  13日、宮城県 石巻市 住吉中学校で講演。
  9~14日のどこかで、同じく宮城県 石巻市 石巻小学校で講演。
  16日、東京都 杉並高校で講演。  
  17か18日あたりに松山に帰ってくる。


BAR Sheylaは、この期間も開店している。
バイトの女の子たちが頑張っているので、ガールズバー・シェイラに是非寄ってください。


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