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June 20, 2011

大洲南中学校人権集会

6月19日、大洲南中学校を訪れた。
全校生徒、保護者を対象に60分の講演をした。
今回は、シルクロードやジャングルの大冒険はカットし、人の生き方に関わる話ばかりをした。
生徒らは皆、真剣に聞いてくれた。
スタートが少し早まったせいで、最後の自分なりのまとめの時間に、余裕があった。
生徒らの真剣な眼差しに引き込まれるように、「この日本で、これからどう生きていくべきか!?」というテーマで話すことができた。
人権という言葉は今だ分からないが、「人が皆、自分の生き方を選べる」ということも入るはずだ。

最近、講演の中で、自分の本音を出すようになった。
今回の講演でも、特に言うつもりではなかった本音が、たくさん引き出されたように思う。
私の心の深い部分が正しいとは言わないが、上っ面の綺麗ごとを聞かされるよりは、強い刺激になるはずだ。

生徒代表のあいさつは、人権委員会の委員長だったようだ。
「中矢さんの話を聞いて、自分の価値観が、これまでとは大きく変わった気がします。ぼくも自分の大切なものを見つけて、生きていきたいです。そして、幸せな人生にしたいと思います。」
このような内容だったが、私の方が感動するような、素晴らしい素直な言葉だった。

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June 17, 2011

久枝小学校人権集会

6月15日、久枝小学校で講演をさせてもらった。
全校生徒対象なので、小1の児童たちもフル参加だ。
先生方の民族衣装でオープニングを飾った。
これでつかみは、OK。
40分間だったので、かなりネタを絞った。

コモドドラゴンの写真を見せながら、低学年の子に、「これなんやろ?」と聞くと、大きな声で自分の名前を言ってくれた。
もう一度聞くと、興奮気味に、また自分の名前を言ってくれた。
その後、「ワニの赤ちゃん。」と言った。
私は、これが一番楽しかった。

低学年は、先ほどのコモドドラゴンやアナコンダの映像に一番食いついていた。
最後には、インドの話をしたが、こちらは、高学年や大人たちの反応が良かったように思う。

短い時間ながら、子供から大人まで、何か持って帰ってもらおうと思って話したのだが、どうだったろうか。

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June 14, 2011

サッカーな日々

<松山市中学総体>
6月7~10日、砥部運動公園で行われた。

我が垣生中は、2日目に桑原中と対戦。
昨年のジュニアユース予選、新人戦と、よくあたる相手だ。
相手の監督が、匡の同級生の佐10なので、たくさんのサッカー関係者から「因縁の同級生対決」と言われた。
中学だけでなく、高校やクラブチームの指導者たちにも言われたので、意外に注目カードだったようだ。

立ち上がりは、こちらの選手の動きが硬く、1点を失う。
しかしこちらの狙いも当たり、1点を返す。
後半戦に入ってもピンチは続いたが、ねらいははっきりしていたので、勝てる可能性は感じていた。
1-1で、延長戦に突入。
自分の目には、苦しいながらも、垣生の選手らが勝利を手繰り寄せているように見えた。
しかし、終了間際に、こちらのミスから痛恨の失点。
惜敗した。
まだまだ足りないものがあったのだろう。

決勝戦は、桑原対附属で、附属が優勝。
三津浜対鴨川は、三津浜が優勝。

垣生中サッカー部の総体は終わったが、3年生たちには、最後のチャンス、ジュニアユースがある。


<愛媛県高校総体>
そして私が、垣生中のトレーニングにかかっている間に、我が松山北高は、準決勝で、松山工業に0-2で惜敗。
松山工業が優勝した。

選手権に期待したい。


<愛媛県シニアリーグ>
6月12日、西条ひうちグラウンドで、「愛媛四十雀」と対戦した。
メンバーは、高齢者中心に11名ぎりぎり。
しかも、初出場のOサムさんは、右膝をパンパンに腫らしている。
試合よりも、行くべきは病院だろう。
娘の参観日で開始寸前に現れた篠原パンツは、「ストッキング忘れた!」と、他のチームに借りに行った。
いよいよ試合が始まるという時、Kゾーさんは、「時間何分間かな?」。
匡が、ポジションにつこうとするとそこにはIサムさんがいて、「あれ、わしここじゃなかった?」。
ボケの連発で試合は始まった。
途中、守りの要のクニ○が、スライディングしたところを蹴られ、膝を痛めてしまった。
ピッチに残ったが、動けない。
大変なことになった。
しかし、こちらには、お宝ストライカー奥田がいる。
怪我人のOサムさんもクニ○も、なんとかパスをつなぐ。
そして奥田が、ハットトリックの大活躍。
苦しい試合だったが、3-2で勝つことができた。
嬉しい勝利だ。

そして翌日の今日、体中が痛い。

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June 04, 2011

クロッシング

2010年に日本でも公開された。
「たかじんのそこまで言って委員会」で勝谷さんが紹介していたので、見に行こうと思っていたが、結局行けなかった。
今回、WOWOWで放送されたのを見ることができた。
北朝鮮を舞台にして、韓国で制作された映画だ。
ドキュメンタリーではないが、事実や、脱北者の証言をもとにして作られているので、表現されていることは、ほぼ現実ととらえていいと思う。

公式サイトからストーリーを引用させてもらった。

「北朝鮮の炭鉱の町に住む三人家族。
炭鉱で働く元サッカー選手のヨンスは、妻・ヨンハと11歳の一人息子のジュニとともに、貧しいけれど幸せに暮らしていた。
しかし、ある日、ヨンハが肺結核で倒れてしまう。
北朝鮮では風邪薬を入手するのも難しく、ヨンスは薬を手に入れるため、危険を顧みず、中国に渡ることを決意する。
決死の覚悟で国境を越え、身を隠しながら、薬を得るために働くヨンス。
脱北者は発見されれば容赦なく強制送還され、それは死をも意味していた。
その頃、北朝鮮では、夫の帰りを待ちわびていたヨンハがひっそりと息を引き取る。
孤児となったジュニは、父との再会を信じ、国境の川を目指す。
しかし、無残にも強制収容所に入れられてしまう…。」

映画を見た人は、涙が流れたり、凹んだりするだろう。
跡に残るものがある。
心の傷跡のようなものなのだが、それは必要なものだと私は思う。
特に、日本人は知るべきだ。
北朝鮮を単に「テロ国家」と呼ぶだけでは、済まされなくなる。
北朝鮮国民もまた犠牲者なのだと。

国とは、大切なものなんだなあと、改めて思った。
国のリーダーが狂人だと、これほどの地獄となるのか。
愚人をリーダーにもつ我が国も、中々の地獄を味わっているが…。

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June 02, 2011

パレスチナの首都「ラーマッラー」を目指せ

パレスチナ自治区には、パレスチナ自治政府というものが存在する。
ラーマッラーという街にそれがある。
つまりパレスチナの首都だ。
その街を目指すことにした。

ユダヤ人用のバスに乗り、ユダヤ軍の管理する道を通る方法もあったが、アラブ用のバスでパレスチナの道を通っていくことにした。

軍人を乗せた車も普通に走っている。

バスが停車すると、アラブの子供が嬉しげに寄ってきた。

荒涼とした大地をひた走る。

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ヘブロン「鉄の扉」

マクペラの洞穴で、再び警備隊のチェックを受け、アラブ側に戻った。
祈りを終えた人々と一緒に来た道を帰る。
この道にもやはり、金網が張られてあり、ゴミが投げ込まれている。
エルサレムよりも大変そうだ。

途中、鉄の扉で閉ざされている場所を見つけた。
「あれ。この向こうが、さっき通ったゴーストタウンじゃないか?」
若いアラブ人が近づいてきて言う。
「この扉の意味がわかるか!?この向こうには、我々の街があった。それをあいつら(ユダヤ)が銃で奪っていった。人を殺し、建物を焼いた。そして二度と踏み込めないようにこの扉で閉ざしたんだ。」
鋭い眼光の男の話は、さらに熱くなる。
横っちょにある細い階段を指さしながら、
「もっと詳しいことが知りたかったら、この階段の上の部屋に来てくれ。」

私は、行かなかった。
彼の気持ちもわからないではないが、白昼の通りで堂々とユダヤの批判をするというのは、いかがなものか。
彼は、武闘派政治結社ハマスのメンバーではなかろうか。
階段の上には、ほかのメンバーたちもいるのかもしれない。
対立に巻き込まれることとか、拉致されることなど、いろいろな事態を考えて、リスクを回避することにした。


この「鉄の扉」を開こうとするアラブ人や活動家は、たくさんいるようだ。
前述の「死の街」であるシュハダー・ストリートでは、私の訪れた一月後にも、「この道をアラブに開放せよ。」と、500人規模の抗議デモが起こっており、イスラエル軍の銃撃による負傷者や逮捕者も出ているようだ。

そして鉄の扉は、今も閉ざされている。


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