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May 20, 2011

ヘブロン「死の街」

国連合意では、ヘブロンはアラブ人のものなのだが、アブラハムの墓があることや、自分たちのルーツの第一歩であることから、ユダヤ人は、街の一部を奪い取って生活し、ユダヤ軍がそれを守っている。
街は、アラブ人の住むH1地区と、ユダヤ人の住むH2地区に分かれている。
アブラハムの墓がある「マクペラの洞穴」は、両者の国境線であり、軍のバリケードを超えた私たちは、H1からH2に入ったということだ。
ユダヤの支配するH2を歩いた。

アラブの少年が寄ってきて、土産物を売りつけてきた。
「いらない。」そうはっきりと断ったのだが、しつこく絡んできた。
5回ほど断ってもまだ食い下がってきた。その態度があまりに横柄だったので、キレて怒鳴った。
「いらん! こっちに来るな!」
それでもその少年は、ひるむことなくこちらを睨みつけてきた。
睨んだままなかなか離れなかった。
不愉快極まりない状態で、ようやく離脱できた。
今回の旅で、初めて嫌なガキに会った。

そしてH2には、人影がいっさいなかった。
通りの角には、ユダヤの兵士が立っている。
「日本人だ。」と言うとフレンドリーな態度になる。
カメラを出すと、
「あっ、撮ろうか!?」と、兵士が聞いてきた。
「いや、私があなたを撮りたいんだ。」と、答えた。
優しそうな表情の兵士。
彼は、肩にかけた銃の引き金を引くことができるのだろうか。

すべての商店のシャッターが下りている。
人の気配が全くない。
「死の街」だ。

「シュハダー・ストリート」。
かつてこの辺りは、アラブ人で賑わう目抜き通りだったらしい。
ユダヤ軍の武力や、ユダヤ人による投石などの嫌がらせによって、アラブ人たちはこの場所を追われた。
今は、ユダヤの兵士が、ただ立っている。

ゴーストタウンと化したH2だが、マクペラの洞穴の前には、一軒だけアラブの商店が開いていた。
立ち退きを拒んで頑張っているようだが、ユダヤ人たちは、商店の品を蹴り散らかしたり、金も払わず取り上げたりするらしい。
地獄の日々であろう。
ついて来た少年は、そこの子供かもしれない。
なぜなら他には、アラブ人は一人も見かけなかったから。
あの少年は、10歳くらいだったが、私よりも多くの苦しみや悲しみを味わってきたのだろう。
睨みつけた目から感じられる覚悟が、尋常ではなかった。
少年とは、2度と出会わなかった。
彼と、全うに関わることができなかったことを、会話ができなかったことを、後で悔やんだ。

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May 19, 2011

ヘブロン「アブラハムの墓」

「ノアの方舟」の話は有名だ。
ノアの10代下の息子がアブラハム。
そのアブラハムこそが、ユダヤの祖である。
さらに、アラブの祖でもある。
アブラハムは、このヘブロンに住んでいたので、「ヘブロンのアブラハム」と呼ばれた。
「ヘブロン」の地から旧約聖書は始まる。
「アブラハム」が「アラブ」の語源であり、「イスラエル」とは、アブラハムの孫の名前だ。
すべては、ここから始まったのだ。

ヘブロンの街で、たくさんのアラブ人の人波にのってたどり着いたモスク。
そこが「アブラハムの墓」でもある「マクペラの洞穴」。

モスクの入り口で、我々夫婦は止められた。
「お前たちは、ムスリム(イスラム教徒)ではないだろう。」
「はい。」
「他の日なら異教徒を中に入れてやってもいいのだが、金曜日は大切な祈りの日なので入れるわけにはいかない。」
「わかりました。」
「どうしても入りたかったら、あのユダヤ軍のバリケードをまわって入れ。」
なんのことかと思っていると、親切なアラブの若者が、私たちを軍のバリケードに連れて行ってくれた。
ユダヤ軍は、最初我々を警戒していたが、パスポートを見せると、中に通してくれた。
そして別の通路を通って「マクベラの洞穴」に入ることができた。
驚くことにそこでは、ユダヤ人が集まってミサをしていた。

巨大な「アブラハムの墓」
その上部は、ユダヤの教会であり、下部はイスラムのモスク。
同じ時に、同じ場所で、それぞれの民族が、自らの祖であるアブラハムに祈りを捧げる。

この場所を巡って、たくさんの血が流されてきた。
狂信的なユダヤ教徒が、銃を乱射し、イスラム教徒29人の命が奪われたこともある。
ここにいるユダヤ軍は、国境警備隊で、「マクペラの洞穴」を砦のごとく支配している。
イスラムの暴動が起これば、一瞬にして皆殺しにできるよう、たくさんの自動小銃の銃口が向けられている。

ひとつの墓を巡る攻防は、未来永劫続くのか。

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May 13, 2011

シャッター アイランド

こんな面白い映画は、久しぶりだ。
とにかく引き込まれるし、事実が何かわからなくなる。
ドキドキとモヤモヤが渦巻く。
見事なストーリー展開と演出だ。
最後も印象的。
「モンスターとして生きるか、善人として死ぬか。」
見終わった後も、しばらく考え込んでしまった。
お勧めです。

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May 12, 2011

ハマネ12の6

懐かしい奴が店を訪ねてきた。
山根という奴だ。
中1の時に広島へ転校していったので、なんと33年ぶりの再会か。
今年の正月に、中学のプチ同窓会を、うちの店でやった時に、電話で話したのがきっかけになった。
懐かしい話をたくさんした。
広島へ行ってからのことも聞いた。
最近、このブログを見てくれているようで、教師をやめてからのことをよくわかってくれていた。
彼の職場の若い奴に、私のことを話しているのだという。
「俺の友達にこんな奴がおるんや」と。
なんか嬉しくなった。
33年がみるみる埋まっていく。

小学校の頃には、ヘンなあだ名をつけあった。
山根は、帝人社宅の12棟6号室に住んでいたので、
「ハマネ12の6 !」とみんなに言われていた。
他の奴には、そんな住所あだ名はつかなかったので、不思議なことだ。
同級生みんな、奴の住所だけは知っていたし、遊びに行くのに迷ったことはない。

奴が転校する時、同じサッカー部だったのだが、港には見送りに行かなかった。
行ったやつらから、「ハマネは、船室から出てこんかった。」と聞いた。
別れが悲しくて、顔を見せられなかったのだろう。
私も、行けばよかったと後悔したのを覚えている。

ハマネは、今も広島にいるので、たまにこちらに来れるようだ。
次には、もっとたくさんの仲間で集いたい。

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松山クラブ初勝利 ! (匡初得点)

松山クラブ第3節、対四国中央戦。
5月8日、スカイフィールドで行われた。

初めてスタメンじゃなかったので、ベンチから見させてもらったが、40オーバーのおっさんたちが必至に戦う姿は、実に面白い。
プロ顔負けのテクニックが見れたかと思えば、相手もいないのにバランスを崩して前転している人がいたりする。
へたなJ2のゲームより盛り上がるし、笑える。

ここまで2分けと、勝ちのない我がチームだったが、ここに来て「お宝FW奥田」がようやく火を噴いた。
2-0のリードで前半を折り返す。
後半に、匡と篠原パンツの「北高漫才コンビ」を投入。
私としては、パンツのボケを流すことができず、突っ込みをいれているだけなのだが。

そして匡に、シュートチャンスが訪れる。
「ゴールの左サイド、いや右、やっぱり左。」
あまりにいい形でもらったものだから、迷いまくってキックした。
甘いコースに飛んだボールは、キーパーに弾かれながらもゴールインした。
私が迷いまくったのが、相手キーパーには、フェイントになってしまったようだ。
みんな駆け寄って喜んでくれるのだが、恥ずかしくてたまらなかった。
どこからか「よっ40代の星!」と声がとんだ。

試合は、4-0の快勝。
日体大同期の田中と、久しぶりにピッチに立てたことも嬉しかった。
遠くまで来たかいがあった。

この日の集合写真が手に入ったので、老兵たちの雄姿を、みなさんに見ていただきたい。

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May 05, 2011

愛媛チャレンジカップ 垣生中13位。

5月3、4、5日の3日間をかけて、第1回愛媛チャレンジカップが行われた。
愛媛県内の中学校とクラブの30チームが参加する大規模な大会だ。
最初の2日間で5チームによるリーグ戦を行い、その戦績で上位から下位まで5つのブロックに分ける。
最終日は、6チームによるトーナメント戦を行う。

我らが垣生中は、2勝1敗1分で、中位のトーナメントに入った。
もともと怪我人が2人いたのだが、さらにキャプテンも痛めてしまった。
1年生も4、5人投入しての戦い。
かろうじて準決勝に勝ち、決勝に駒をすすめた。

相手は、三津浜中。
新人戦で勝てなかった相手だ。
自由度の高い大会なので、三津浜は、まずBチームが出てきた。
Bといってもスキルはたいへん高い。こちらはなんとかしのいでいた。
後半になって、こちらのねらいが当たり始め、ついに1点を獲得。
そこで三津浜は、9人交代。レギュラーメンバーが出てきた。
「くそったれが、ここでとられてたまるか。」
選手らも、そんな気持ちだったかもしれない。
なんとか最後まで守り切った。
1-0の勝利。
個人の技術、身体能力、経験値、選手層の厚さ、コーチ力。
どれをとってもかなうものはない。
しかし、この勝負だけは、垣生中の完勝だ。

子供たちは、大喜びで「13位」と刻まれたカップに集まった。


GWは、休みなしで店を開けていた。
大会中は、1日1、2時間の睡眠で乗り切った。
一番苦しかったのは、下灘からの車での帰り道かもしれない。
「グラウンドで死ねたら本望」などとのたまっているが、道路で死ぬわけにはいかない。

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