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January 31, 2011

2月の講演

2月1日、県立松山西中等教育学校、少年式記念講演。

4日、重信中学校、少年式記念講演。

20日、愛媛県生涯学習センター「生涯学習探Qまつり」。
一般参加できます。
コミカレ・スペシャル講座として、
「世界を歩く ~67か国で出会った人々~」 11:00~12:30 定員60名 受講料500円
事前申し込みが必要らしく、生涯学習センター TEL089-963-2111 にご連絡ください。
なんと、私の話でお金を取るのか‥。
13:30からは、「世界がもし100人の村だったら」の著者 池田香代子さんの講演があるので、こちらがメインのイベントですね。

27日、青少年センター、「第5回 松山市青少年育成市民大会」。
第1分科会「青少年の国際理解と国際交流活動」 13:00~17:30 参加する青少年は、事前に学校等を通じて募集するそうです。
私の講演や、外国人を交えてのディスカッション。サルサレッスンもあって盛りだくさんですが、一般参加できません。残念。

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エルサレム 「岩のドーム」

「嘆きの壁」の内側、かつての神殿の丘には、現在モスクが建っている。
イスラム教の預言者ムハマンドが、そこにある岩から天使を従え、天馬に乗って昇天したといわれている。
その岩を抱え込むように建てられたドームは、691年にイスラム教最高指導者によって造られたものだ。
この地は、メッカ、メディナに次ぐ、イスラム第3の聖地となっている。

ユダヤの聖地のすぐ上、彼らの神殿のあった場所に、イスラムの聖地が存在している。

「嘆きの壁」に入るときには、イスラエル軍の検査を受けた。
すぐ横の入口で、アラブ人の検査を受けて「岩のドーム」への通路を進む。木でできた通路は、「嘆きの壁」を見下ろしながら空中を登っていく。
イスラム教徒でない我々は、ドームの内部には入れなかったが、聖地に立つことはできた。
かつてシャロン首相がこの場所に立っただけで、ユダヤとアラブの関係は大きく悪化した。
それほどに神聖な場所だ。
たくさんのムスリムがドーム内部に入ったが、静かだ。
アラブの女性たちがゆっくりと歩いている。
イスラムの神聖な時間を過ごした。


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January 30, 2011

エルサレム 「嘆きの壁」

ユダヤ人の苦難の歴史。
遡るとモーセの「十戒」にまで行き着く。
エジプトで奴隷となっていたユダヤ民族が、モーセに率いられ海を割って脱出し、約束の地に帰ってきたのだ。
今から3000年ほど前、ソロモン王によってエルサレムに神殿が築かれる。
その後バビロニアに滅ぼされ、捕囚として連れ去られるが、その50年後に再び戻ってきた者たちによって神殿が造られる。それが2500年前。
その神殿も破壊され、ユダヤ人たちは四散する。
現存するのは、その2500年前の神殿の城壁の一部。

その壁こそが「嘆きの壁」。

故郷を追われたユダヤ人たちが、年に一度だけ許された来訪の時に、この壁で祈りを捧げた。
自分たちの帰郷を。ユダヤの神殿の再建を。ユダヤの王国の復興を。ユダヤを救う救世主の再臨を祈った。

現在もこの場所は、彼らの魂のよりどころとなっている。
聖書を読み、壁に口づけをし、涙を流す。

気が渦巻いている。それがこちらにも伝わってくる。
なんだか凄い場所だ。
石の力か。
人の力か。
神の力か。
自分もユダヤの帽子を被せてもらい、壁に額をつけた。
2500年前に造られた、神殿の壁。
時を超えて守られ続ける、人の怨念のようなものを感じた。


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January 28, 2011

エルサレム 「ホテル インペリアル」

物価が高く、観光客もそれほど来ないので、宿の値段が高い。
ボロ宿と似たような値段で、格式あるホテルの部屋が見つかったので、そこにした。

メインゲートであるヤッフォ門のすぐぞばに立つ。
100年以上前に建てられたもので、エルサレムのホテルでは、最古の部類に入る。
ドイツ皇帝ヴェルヘルム2世が泊まったそうだ。
フリースペースが広くてお城のようだが、民族衣装を着たマネキンが不気味。

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聖地エルサレム

この地が歴史に登場するのは、今から4000年前らしい。
気が遠くなる。
街自体が史跡であり、もちろん世界遺産となっている。

1km四方の城壁に囲まれたところが旧市街。
入口となる門は8つある。
4000年間、この場所を奪い合って、たくさんの血が流れた。
ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地。
現在この地区は、イスラエル軍が支配しているが、内部は、4分割されており、ユダヤ人地区、ムスリム(イスラム教徒)地区、キリスト教徒地区、アルメニア人地区となっている。

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January 27, 2011

強行軍

松山(バス)→大阪ミナミ(ここで5時間くらい過ごす。)
大阪ミナミ(電車)→関空(ここで2時間。)
関空(飛行機)→イスタンブール空港(トランジット5時間待ち。)
イカタンブール空港(飛行機)→テルアビブ空港(急いで飛び出す。)
テルアビブ空港(乗合小型バス)→エルサレム

ひたすら乗り継いで、目的地エルサレムを目指した。

イスタンブールでの乗り継ぎのときに、セキュリティーチェックを受けた。
匡のパスポートに、イエメンのスタンプがあるので危険に思われたようだ。
イスラム原理主義国家であるイエメンとイスラエルは対立関係にあり、イスラエルのスタンプがあるとイエメンには入国できない。
逆は可能なはずなのだが‥。
ポリス「イスラエルには何をしに行く?」
ただし「観光です。」
ポリス「イエメンには、何をしに行った?」
ただし「観光です。」
ポリス(そんな奴がいるか?といった顔)
ポリス「お前は、クリスチャンか?」
ただし「いや、私は仏教徒だ。」
機内に預けた荷物のナンバーを控えられて終わった。
(好きに調べるがいい。)
乗る前のチェックでも、匡もけい子も個室でボディーチェックを受けた。
とにかく乗れた。


テルアビブからの乗合バスは、出発した直後に突然路上停止し、
「3分だけごめん!」
の言葉を残し、ドライバーが走り去ってしまった。
(何が起こった!? テロか!? 爆弾しかけられたんやないやろな!)
飛び出すべきかと本気で考えた。
ドライバーは帰ってきたが、説明はなかった。
イスラエルはほとんどが砂漠のような国で、荒涼とした大地が続く。
そんなこんなで、目的の地 エルサレムに着いた。

一体、どれだけ乗り物に乗ったか。
そういや、いつからまともに寝てないんかな?
仕事で徹夜明けのまま大阪行きのバスに乗ったんやから。

とにかくエルサレムに来た。


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神座のラーメン&たこ焼き

たこ焼きは、なんば花月の隣でいつも食べる。
ほかにも美味いたこ焼きはたくさんあるだろうが、ここがけっこうお気に入りだ。
神座のラーメンは、豚肉と白菜が、鍋の〆に麺を入れたような味を出す。
関空から旅立つときや、戻ったときによく食べるので、旅とセットの大切な思い出の一部になってしまっている。
「これが、最後の日本の飯になるかもしれんなあ。」
などと思いながら食べた。

出発の2日前に、トルコからイスラエルの便とイスラエルからトルコの便の時刻が変更になった。
予定していた便が飛ばなくなったようだ。
(トルコとイスラエルの関係悪化の影響かな?)
関空での搭乗手続きのときにカウンターに呼ばれ、トルコ航空の少し偉い人が出てきて、確認やらお詫びやらして、英文の新しいスケジュールをもらった。
(この紙が、後の重大ミスにつながっていくのだが‥)
変更の理由は、彼らも分からないらしい。
ビジネスクラスのカウンターから入れてくれたが、座席は当然エコノミーだった。

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帰ってきたぞー !

1月25日の夕方に松山に帰ってきた。
バタバタと店に出て、サルサパーティーに参加した。
旅の報告をしたり、代表戦の応援をしたりした。

エルサレムにも、パレスチナ自治区のいくつかの街にも行くことができた。
すばらしい旅だった。
アクシデントもあったが、無事に戻れたし、得るものはたくさんあった。
写真もたくさんあるので、これから記事にまとめていこうと思う。

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January 10, 2011

行ってきます !

2つの民族が相いれず、争い、憎しみ合っているところ。
そんなところへ、何をしに行こうというのか。
何ができるわけでもないのに。

貧困や戦乱や、過酷な自然環境の中で生きている人たちから、たくさんのことを学んできた。
憎しみのイスラエルは、何かを伝えてくれるのだろうか。

今、大阪のネットカフェで書いている。
南米のときのように、パソコンを携帯しているわけではないので、帰国まで更新することはないだろう。
このあと、神座のラーメンを食べに行くが、それが人生最後の日本の食事とならないようにしたい。
ではみなさん。アディオス!!

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January 08, 2011

イスラエルに行くぞ !

9日まで、普通に営業。
10日、バスで大阪へ。
たこ焼きと神座(かむくら)のラーメンを食べて、深夜に関空から旅立つ。
11日、イスタンブール経由でイスラエルのテルアヴィヴへ。
どこをまわるか決まっていないが、聖地エルサレムやパレスチナ自治区へ行くつもり。
19日、テルアヴィヴから、イスタンブールへ。実は、トルコも初めて。
21日、イスタンブールを立ち、22日に成田へ帰国。
23日、千葉で、カミオキという教え子の結婚式に出席。
25日、飛行機で東京から松山へ。シェイラのサルサパーティーに参加。
以後、通常通り営業。


11日から24日までの日曜日以外は、バイトの女の子たちで、全部開けていく。
ガールズバー・シェイラを、どうぞよろしく。
心配なので、私の代わりに覗いてみてください。


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January 06, 2011

生と死

12月25日、クリスマスの夜。
この日のシェイラのお客の大部分が、教え子だった。
そのなかに、エツヤと奴の彼女もいた。
みんなに匡作のトマト鍋と、けい子作のチョコレートケーキを食べてもらった。

その数時間後、エツヤが亡くなった。
心不全だった。
27日に通夜、28日に葬儀が行われた。

12月31日、大晦日の夜。
実家の寝たきりの親父を訪ねた。
点滴でなんとかやっているが、そろそろ危ないだろうと母親だけでなく、兄貴も泊まって見守ることになった。
その後、けい子の実家に寄ったあと、今晩で閉めるという知人のサルサバーを訪ねた。

その店でカウントダウンが始まるかというころに、親父が亡くなったという知らせが届いた。
元旦に通夜、2日に葬儀。
親父の遺言により、身内だけで執り行われた。

2日の晩には、店を開けていた。
己が生きるために、また、生きている者たちのために。

エツヤは、うちを訪ねてくるときに、よく「焼き鳥弁当」を買ってきてくれた。
豚足やビーフジャーキーや、先に行った店のお土産を持ってきてくれた。
昔のお父さんみたいな奴だった。

親父は人の言うことを聞かず、好きなだけ酒を飲み、病院に入院することを拒絶した。
家で死にたいと言っていた。
好きなように生きて、好きなように死んでいった。

我々夫婦は、1月10日から二週間ほどイスラエルに行く予定を立てていた。
親父が亡くなる前に、そのことを母親に伝えると、
「あんたは、いつ死んでもええ覚悟ができとんじゃろけど‥。お父さんは、子と孫にだけ看取られたい言よるのに‥。」
と、嘆かれた。親が死ぬかもしれんときくらい傍にいろと。
「あんたは、母さんが入院しとるなか、南米にも行ってしもたし。」
7年前のことも言われた。
(わしは、親不孝者なんかなあ。)

私も好きなように生きている。
私が死んだときには、
「好きなように生きて、好きなように死んだ。」
と言われるのだろう。

今は、焼き鳥弁当の優しさが、エツヤの生きた証のように思える。
我を通したことが、親父の生きた証のように思える。

1月10日から、イスラエルに行ってくる。
キリストが生まれ、キリストが死んだ国。
国内にミサイルを撃ち込み、その報復に自爆テロが行われる、憎しみの渦巻く国。

人が生きるとは、どういうことなのか。
考えてこようと思う。

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