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September 27, 2007

ミャンマー

ミャンマーが大変なことになっている。
僧侶たちが中心となって、軍事政権に反対するデモを開始したが、軍部の弾圧により、500人以上が拘束され、5人もの死者を出してしまったようだ。
なんと愚かな。
ミャンマーは開発の遅れた自然の国だ。
農民たちは水牛の背に揺られて田畑に向かい、湖の漁師たちは、小船に1人が乗り込んで片足で立ち、もう片方の足で櫓を漕ぐという、なんとも和やかなスタイルで漁をしている。
人々は、とても素朴でシャイだ。
仏教は、皆の心のよりどころであり、精神文化の中核をなしている。
そして、僧侶は尊敬され、親しまれている。
3年前にミャンマーを旅したとき、たくさんの寺院を訪ねた。
出会った僧侶たちは、皆、気さくで、たくさん話をしてくれた。
何の話か忘れたが、5・6人の僧侶と一緒に笑ったのを覚えている。
彼らと出会った僧院のいくつかは、もう軍部に破壊されてしまったかもしれない。
「命」を最も大切に考え、それを教えている彼らが、自らの命を投げ打ってまで訴えようとしている。
このままでは終わらないだろう。終わらせられないだろう。
この国で、もっとも尊いものとして守ってきたものを、軍部は今、壊そうとしている。自分たちの権力を失いたくないから。
ミャンマーを、日本と世界は、見捨ててはならないと思う。

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September 13, 2007

青年海外協力隊OB会議

9月某日、シェイラを4人の男が訪れた。
彼らは、青年海外協力隊のOBである。
協力隊員などJICA関係者とは、研究会や講演で同席することも多く、知り合いが多い。
シェイラにもたくさんの協力隊OBが来るので、「世界と日本」をテーマにした会議が開かれることもある。
連れて来てくれた知り合いは、現在、某行政機関の議員をしている人だ。
2人がカンボジアのJICA施設に、1人はアフガニスタンに派遣されていて、今は、一時帰国で帰ってきている。
アフガニスタンに協力隊員は派遣されていないが、なんと50人ものJICAの職員や専門家が、現在、派遣されているということだ。
復興支援のために、農業、医療、教育、インフラ整備など、様々な分野で活動している。
その中の半数近くは女性だというので、さらに驚いた。
韓国人拉致事件が、一応収束したところだが、このことによって、アフガンに駐留する外国人が拉致され、交渉のカードとして使われる可能性はさらに高まってしまった。
日本は、アフガニスタンには軍隊を派遣していないので、軍撤退に使われる心配はないが、身代金要求に使われる可能性は十分にある。
日本政府は、アフガニスタン全土に退避勧告を出しているが、にもかかわらずJICA関係者は活動を続けている。
日本政府として、国際社会に対する責任を果たすために、復興支援活動は続けるということだ。
アフガンで苦しむ人々のため、さらに日本の国際的立場のために、彼らは命懸けで活動している。
このような事実が、なぜもっと国民に知らされないのか。
政府にもメディアにも疑問が残る。
シェイラ議事堂での会議は、その後も、日本の「政治とカネ」をめぐる問題や「戦後レジームからの脱却」について熱い討議が続いた。

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September 11, 2007

硫黄島

毎年8月には、戦争に絡んだテレビ番組がたくさん放送されるので、なるべく見るようにしている。
昨年封切りされたときに、とても興味を持ちながらも見ていなかった映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」もレンタルして見た。
ついでに「男たちの大和」と「出口のない海」も見た。
それぞれにテーマに迫ろうとした作品だと感じられたし、クリント・イーストウッドというアメリカ人がこのような作品を手がけた意味は大きいと思った。
しかし、NHKのドキュメンタリー番組の何本かは、それらの映画作品を遥かに凌ぐ衝撃を与えてくれた。
特に「硫黄島 玉砕戦~生還者61年目の証言~」(2006年作)は重みがあった。
爆音や血しぶきが飛び散る映像などはなく、硫黄島からの生還者が、ただ淡々と静かに語るだけで、その悲惨さと彼らの思いが伝わってきた。
これが戦争なんだなあ、と思った。
これまで封印されてきた戦争の事実が、近年、ようやく語られるようになってきた。
日本のメディアや視聴者も、正面から受け止めようとする姿勢がとれるようになってきたのだろう。
事実を知り、そこから何かを学び取り、これからの路を探るのは、今しかない。

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September 10, 2007

夏のサッカー

夏のあいだには、サッカーの様々なイベントが行われた。
今年は、愛媛県と韓国で日韓スポーツ交流が行われたので、犬たち(シェイラに出入りするサッカー関係者)は、愛媛残留組と韓国遠征組に分かれ、忙しい日々を過ごしたようだ。

8月12日には、垣生中でOB戦をした。
匡がプレーするのは約1年ぶり。
40歳を過ぎたメンバーが集まり、中学生と死闘を繰り広げた。
おっさん側のゴールキーパーが、シュートを弾いて手首を骨折するという大惨事に見舞われたが、試合そのものは良かった。

19日には、余土中でOB戦をした。
この春に高校を卒業した、かつてのポックリーズ(最小、最弱を謳ったサッカー軍団。最終的には県大会に出場。)が結集し、余土中生と戦った。
最後の教え子たちとの再会を喜んだ。

21日から23日は松山市中学生サッカー大会が、市民グラウンドで行われた。
垣生中は予選リーグ2連敗で、2日目のトーナメントでは初戦に拓南中に敗れた。
これで終わりのはずなのに、話の展開で、3日目に津田中の監督代行を務めることになってしまった。
どうなることかと思ったが、始まってしまえば叫び倒しているいつもの匡だった。

9月1日、2日には、3年生最後の大会となるジュニアユースの予選リーグが、城西中で行われた。
初日は、城西中に1-0勝ち、砥部中に5-0で負けた。
2日目、道後中に2-1で勝ち、最終戦は、その時点でリーグトップを走っている椿中。
2-5で敗れたが、これまでで最高の試合内容だった。
2年前の夏に垣生中が雄新中に0-20で惨敗し、それが匡がコーチを始める引き金となった。
ずいぶんいい試合ができるようになったなあと思った。

現在、コーチとしては新人戦を目指し、プレーヤーとしても試合復帰を目指している毎日だ。

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8月のシェイラ

最近、お客の減少が危惧されるシェイラだが、8月は忙しかった。
日曜日にも要望があったため、15日までは休みなしで営業を続けた。
特に11日から15日までの5日間は、連日満席となった。
教え子が大量に訪ねてきてくれたのがその要因だが、城西中の24歳になる教え子たちが一番多かった。
15日の遅い時間帯には、客がすべて教え子という現象が起き、最終的には城西中の同窓会になった。
毎日楽しかった。
しかし、16日の朝方から匡の体が急変。食中毒に似た症状が現れ、寝込んでしまった。
16日は痛恨の臨時休業。この日にシェイラを訪ねて来てくれた人、すみません。
疲れがたまっていたのだろう。気をつけないかんと思った。

バーやスナックでは、「ニッパチ」と言って2月、8月は最もお客が少ないと言われている。
シェイラに限っては、8月は当てはまらないようだ。
倒れるほど忙しい8月だったが、9月に入ってからは暇な営業が続いている。

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