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March 26, 2007

コーカバンでの昼飯

崖の上の村に一軒だけある宿屋で、飯を食べることになった。
イエメンの家の最上階は、マフラージと呼ばれる応接室で、光を多く取り入れ、造りも高級になっている。
本来は、男たちだけが集まる場所だ。
肘掛に左肘をつき、方膝を立てて座るのがイエメン式。
宿屋の娘が給仕してくれた。
部屋の奥で、匡以上にリラックスしているのが我々のドライバーだ。
彼には、4人の妻と20人の子供がいて、ランクル1台でそれら全員を養っているそうだ。
恐るべき男だ。
そして恐るべきランクル。
日本の男も、ランクル1台買って、イエメンに移住するといい。
4人の嫁さんが待っている。
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豪華な昼飯だ。
崖の上に食材を運ぶのは大変な作業だろう。
土釜で焼いた鶏がうまかった。
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双子村、シバームとコーカバン

ある部族が、この地にたどり着いた。
3000mもの高地だが、作物が育ちそうだ。
しかし、他の部族に襲われたら、ひとたまりもない。
部族の一団は、崖の上に住み、外敵を見張ることにした。
以来1000年。
ふたつの村は、助け合って生きてきた。
双子村の住人は、1年に1度集まり互いの無事を確認しあう。
崖の上のコーカバンの人々は、今も賊の襲来に備え、地平線に目を凝らす。
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March 23, 2007

村の風景2

生きた鶏を抱えた少女が走り抜けていった。今夜はご馳走なのか。
大きな水瓶を頭に乗せた女性が通る。
ロバが静かに佇み、村の日常が過ぎていく。
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村の風景1

荒涼とした大地を走る。
羊を追う羊飼いが見える。
全身黒尽くめで農作業をしている女性。
間もなく村に到着した。
昼間の村は、ひっそりと静かだ。
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March 21, 2007

ロックパレス

どうしても、この石の上に家を建てたかったのだろう。
最初にこの石の上に人が住んだのは有史以前だそうだ。
1930年代、オスマントルコから独立した「ムタワッキル王国」の国王が、夏の別荘として使っていた。
国王は暗殺され、何度かの革命の後、イエメン・アラブ共和国が誕生した。
主を失った無人の王宮は、今も乾いた大地にそそり立っている。
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March 20, 2007

ランクル

アスファルトでない、砂地も、岩の斜面もランクルは登っていく。
ここでは、これ以上心強い味方はいない。
丘の上から見ると、グランドキャニオンのような地形が広がる。
空はどこまでも青い。
現実離れした、生命の香りのない風景の中にも、Sdsc00183民家があることに気づく。
こんなところにも人が住んでいるんだ。

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北部山岳地帯へ

トヨタの4駆とドライバー、ガイドをチャーターし、サナアの街から出てみることにした。
車と2人の男を1日貸し切る代金は、80US$だった。
イエメンでは、毎年のように外国人が拉致されている。
捕らえられた人は、部族間抗争のカードとして使われるらしい。
「こいつらの命が欲しかったら、牢獄にいる俺たちの仲間を解放しろ!」という感じだ。
北部山岳地帯の部族は、特に独立心が強く、戦闘能力も高い。
村の男たちは皆、ロシア製のカラシニコフというライフルを肩から下げているそうだ。
北部の市場では、ライフルや機関銃はもちろんのこと、ミサイルまでも売られているという。
またアルカイダ関連のテロ組織も国内に侵入している。
アルジャジーラの放送局を通じ、中矢夫婦が覆面を被せられている映像を全世界に流すわけにはいかないので、安全そうなルートを相談して決めた。
治安維持のためイエメンの道路には関所があり、兵隊が管理している。
外国人が関所を通るためには手形(パーミット)が必要で、あらかじめ取得していた手形を提示して通してもらう。
標高3000mにもなる高地だが、意外になだらかだ。
ランクルは快調に走る。Sdsc00199


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March 14, 2007

親日の理由

《イエメン人は、なぜ日本人のことが大好きなのか!?》
彼らは皆、アメリカが大嫌いだ。
なのに親日なのはなぜだろう?

理由その1‥「日本のODA」
日本政府は、イエメン政府に対し、政府開発援助を行っている。
帰国後、匡が調べたところ、水道・農地・学校の施設整備が主であるようだ。
多数のイエメン人に、「日本人がイエメンにやって来て、道路や学校を作っていった。」と言われた。
侍のハートを持つ彼らが、その恩を忘れるわけが無い。
驚いたのは、政府間の援助を国民レベルで知っていること。
お茶をすすって話が伝わる、アナログ式ネットワークの成せる技かもしれない。
問題の多い日本のODAだが、ここでは理解され、感謝されている。
ちなみに、アメリカの対イエメンODAは日本並みなのだが、決して感謝されることはない。

理由その2‥「トヨタとナショナル」
砂漠での車の故障は、死を意味する。
決して壊れない日本車、中でも走破性の高いトヨタのランドクルーザーは、アラブ世界で最高のステイタスをもっている。
イエメンには、ランドクルーザーだけが越えられる「ランクル峠」というものが存在する。その峠の向こうには、ランクルしか走っていないのだ。
ということでイエメンを走る車のほとんどがトヨタ車になる。
そして、イエメンの露天の電球は皆、ナショナル製だ。
韓国製など他メーカーのものは、すぐに切れてしまうからだと言う。
イエメンの最近1000年の歴史の中で、民衆の生活を変えたものは、車と電気製品。
古くからの生活を変えようとしない彼らが、この2つだけは受け入れた。
そのどちらも日本製品がメインとなっているのだから、イエメン人からすれば、「日本のおかげで生活が楽になった。」ということになる。
「こんな車や電球を作っている日本人は、凄い奴等だ。」とみんな思っている。

以上のようなことから、イエメン人は親日になっている。
中矢夫婦と接触したイエメン人たちからは、学校や車や道や電球への感謝の気持ちが溢れていた。
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March 07, 2007

けい子のイスラム化

イエメンの女の子は、小学生くらいから頭をスカーフで巻き始める。
肌以上に髪の毛を見せないことに気を使い、前髪をアップして前に下がらないようにしている。
成人女性の髪が見えることは、裸を見られるくらい恥ずかしいことらしい。
そして中学生くらいからアバヤを着始める。
外国人女性も、たいがいはスカーフをして髪を隠す。
でないと、変な感じで注目されてしまう。
けい子もアラブ入りからスカーフか帽子を被るようにしていたが、匡のイエメン化に合わせてアバヤも手に入れた。
アラブの女性は、外で働かないので、女性用の服屋には男性がいる。
女性服屋のオヤジだけが、街の女たちの素顔を知っている。
写真上…スカーフを選ぶ。
写真中…街の女性が親切にスカーフの巻き方を教えてくれた。
写真下…アバヤ屋でアバヤを着たけい子。(右に立っていて、目と指が見える。)
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March 06, 2007

匡のイスラム化

「郷に入っては郷に従え」
匡の旅のスタイルとして「現地の人と同じ格好になる」というのがある。
お調子でやっているように見えるかもしれないが、このことによって見える世界はずいぶん変わる。
ターバンを巻くことによって、彼らは「イスラムを理解するもの」としてみてくれる。
ジャンビーア(刀)を腰に差すことによって、「武士道を理解するもの」としてみてくれる。
親日の彼らが、さらに嬉しそうな顔をするようになり、一日に声を掛けられる回数も2倍になった。
写真上…ターバンの巻き方を教わる。
写真中…身体のサイズに合わせて、ジャンビーアをベルトに打ち付ける。
写真下…イエメニー完成。Sdsc00149_3
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March 02, 2007

ティータイム

イエメン人はお茶好きで、朝な、昼な、夕なとお茶を飲んでいる。
アルコールのないこの国では、茶店が男たちの社交場となっている。
街の身近なことから、国の政治の問題、世界情勢と話題は尽きない。
テレビや新聞など見てる人はほとんどいないはずなのに、イラク戦争やイスラエルの様子もよく知っている。
3000年も前から、アジアのこともヨーロッパ、アフリカのことも、このように口で伝えられてきた。
人の力によるパソコンのネットワークのようなものが、大昔から構築されていたのだ。
今日も男たちは、お茶をすすりながら話す。
見慣れぬ外国人を見つけたので声を掛ける。
「おいお前、どこから来た?」
「日本です。」
「おお日本人か。それはいい。Sdsc00112お前の国の話を聞かせてくれ。」

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