March 13, 2008

大変長らくお待たせしました。

2008年になってしまいました。
もう3月半ばですが、今年もよろしくお願いします。
実は、年明けと共に引越しをしたのでネットに繋がりませんでした。
店にADSLを引こうとしたのですが、上手くいかず、何ヶ月も過ぎてしまいました。
今は、ダイアルアップで繋いでますが、近日中にモバイルで繋ぎます。
マレーシアに行くと言ったきりだったので、たくさんの人に心配をかけました。
安否を気遣い、ニューヨークからメールが届いたり、大阪から電話がかかったりもしたので、反省しています。
「ブログの更新がない!」と、久米山さんや國和など、たくさんの人からお叱りも受けました。
これから頑張ります。

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November 25, 2007

マレーシア、行ってきます!

突然の連絡になってしまった。
またも、中矢夫婦の新たなる旅立ちである。

25日、関空経由で、マレーシアのクアラルンプールを目指す。
行ってから宿を探さねばならない。
20年ぶりに訪れるクアラルンプールは、どんなに発展していることだろう。
26日には、レンタカーで移動し、どこかの町に泊まるだろう。
27日は最終目的地、ペナン島に到着する予定。
神野家との再会が楽しみだ。
28日は、ペナン日本人学校で講演をすることになった。
29日の夜、ペナンをあとにし、空路で帰国の途につく。
関空到着は、30日の朝。
昼過ぎには松山に帰る。
このあいだ、BAR Sheylaは、アルバイト池田が、頑張って営業する。
そして30日には、匡も店に立つ。

さあ、今から出発だ。

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November 06, 2007

シェイラ2周年

2005.11.11、シェイラOPEN。
あれから2年が経ちます。
皆さまのおかげで、なんとかここまでやってこれました。
11月の9、10日は、2周年記念という意味も込めて、楽しく営業したいと思っています。
11月11日も、日曜日ですが、こじんまりと営業します。お客さんからのアイデアで、「一品持ち寄りパーティー」をしようということになりました。ささやかな鍋でも用意しようかと思っています。誰でも参加できますので、どうぞ。

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新谷小講演

10月31日、大洲市立新谷小学校の人権集会に、話をしにやって来た。
小1、小2が元気が良くて、最初「これは話は聞いてもらえんかな。」と思ったが、話が進むとけっこう集中して聞いてくれた。
講演後、小3の子供たちから、夫婦で花束を贈呈されたりしてとても嬉しかった。

秋は講演のシーズンだ。
今後も目白押しなので、予定を書いておく。

11月8日(木)、下灘小・中PTA研修会
11月14日(水)、南第二中で人権集会
11月16日(金)、愛媛大学法文学部「経営入門」で講義
11月24日(土)、拓南中でPTA連合会のブロック集会で講演
12月8日(土)、国立大洲青少年交流の家での「大人を考えるフォーラム」に、パネルディスカッションのパネラーとして参加
  ※  このフォーラムは、四国各県の教育委員会も後援しており、対象は高校
        生~30歳程度ということ。興味のある方は、匡まで。
12月21日(金)、愛媛大学にて、「教育学部人間社会デザインコース発足記念講演会」
1月22日(土)、愛媛大学附属幼稚園、保護者会

「わたしでいいのか!?」と疑問が残るものもあるが、まあやってみよう。

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興居島講演

10月28日、興居島中学校の文化祭にやって来た。
泊小と由良小も全員参加し、保護者たちも来ていたから、島民のほとんどが聞いてくれたのではないだろうか。
そして、小1にも、90分ぶっ続けで話を聞かせる、という荒業をやってのけてしまった。
子供たちは、偉かったと思う。
感想文が届いたので、いくつか紹介しよう。(原文のまま)

ぼくは、なかやせんせいがあんなにいろんなくにのなまえをゆってくれてうれしかったです。ほんとうにゆってくれてほんとうにうれしかったです。

ドラゴンのしゃしんがほんとうにあつてびっくりしました。せんせいがはだかでぼくのまえにきたときさむくないのかしんぱいしました。
せんせいのはなしをきいていっぱいものしりになりました。

さいしょ、先生たちが外国人にへんそうしていたのが、おもしろかったです。
中矢先生のお話も楽しかったです。
インドは、とてもまずしいんだなと思いました。
たいわんのバナナを育てている人は、何で自さつをしたのかなと思いました。
さいしょはおもしろい話だったけど、さいごは、少しづつ悲しい話になっていきました。

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雄新中 「生き方講座」を終えて

雄新中から感想文が送られてきたので、1つ紹介します。(原文のまま)

 始め、先生の旅の話はおもしろく、珍しいことばかりで、正直「いいな、こんな楽しい思いをして‥。」と思いながら聞いていました。
 ところがバナナを作っているおじさんの話を聞き、私の思い、全体の空気は一転しました。「先生の旅は楽しいだけの旅じゃない。誰とでも仲良くなれるわけじゃない。苦しいこと、つらいこと、嬉しいこと‥。全ての中に、それぞれいろんな意味、できごとがあるんだ‥。」
 それから話は、生と死についてよく考えさせられるものになっていきました。「おめぐみを‥」と周りによってくる子供達、死にかけた赤ちゃん、死ぬ時を待っている人たち‥。そして、「何のために生まれ、何のために死んでいくのか」という先生の言葉‥。講演が終わっても、ずっと考えていました。頭の中に先生の言葉、その人達のことばかり浮かんでいました。
 人は、誰かに何かをあたえるために生まれてきたのかな、と私は思います。でも何のために死んでいくのかは分かりませんでした。

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October 24, 2007

雄新中での講演

雄新中学校には、よく呼ばれる。
一昨年とその前にも行った。
今回は、2年部の職業指導の一環として呼ばれた。
前に、打ち合わせで職員室を訪れたときに、「砂○に呼びつけられて来たでー!」と騒いでやったら、みんな笑ってくれた。
10月16日本番。「職業」というか、「生き方」の話をさせてもらった。

「人生観」「職業観」で講演することはよくある。
松山大学でも何度かやったし、実は、職業安定所から推薦されるほどだ。
極めて不安定な生き方をしているが、安定所推薦だからすごい。

90分の講演は、生きるだ死ぬだの、いつもより重い話を多くしたのだが、雄新の生徒たちも、ついてきてくれた。
感想が楽しみだ。
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松山市中学生 サッカー新人大会

10月9~12日、サッカーの新人大会があった。
我等が垣生中の初戦の相手は、附属中。総体では、準優勝し、県大会に出場したチームだ。
苦しい戦いだとはわかっていたが、前半に0-3と圧倒的な力の差を見せつけられた。
後半開始直後、指示通りの反撃に出て、1点を取ることに成功。
喜びもつかの間、すぐに返され、終わってみれば9-1の完敗。
また頑張って練習しましょう。

恒例の「野良犬の会」では、若い犬が三匹、教員採用試験に合格したので、そのお祝いをした。
うち一匹は、シェイラ出身である。とても心配だが、頑張ってもらうしかない。

決勝戦は、三津浜中対小野中となり、激戦の末、小野中が見事に優勝した。
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秋祭り

ずいぶん更新が遅れてしまった。
10月7日、朝5:00、今出の神輿があがった。
前日の宵宮で、別の神輿と当たったときに、肋骨を少々痛めてしまったが、大したことはないようだ。
垣生の町を周って、夜にはいよいよ宮入りだ。
クライマックスの二手に分かれた勝負。
昨年は、ここで神輿から落ちて、骨折、入院・手術という辛い経験をしてしまったので、今年の目標は、とにかく無事に終えること。
匡の所属するチームの大将が、神輿から落ちたときに頭を打ち、救急車で運ばれてしまったので、急遽、代行として上がることになった。
神輿は簡単に落とされて残念だが、怪我がなかったので良かった。
今年も無事、「若い衆」たちの勝利に終わり、いい祭りだった。

ケーブルテレビでよく放送されているので、是非ご覧になってください。

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September 27, 2007

ミャンマー

ミャンマーが大変なことになっている。
僧侶たちが中心となって、軍事政権に反対するデモを開始したが、軍部の弾圧により、500人以上が拘束され、5人もの死者を出してしまったようだ。
なんと愚かな。
ミャンマーは開発の遅れた自然の国だ。
農民たちは水牛の背に揺られて田畑に向かい、湖の漁師たちは、小船に1人が乗り込んで片足で立ち、もう片方の足で櫓を漕ぐという、なんとも和やかなスタイルで漁をしている。
人々は、とても素朴でシャイだ。
仏教は、皆の心のよりどころであり、精神文化の中核をなしている。
そして、僧侶は尊敬され、親しまれている。
3年前にミャンマーを旅したとき、たくさんの寺院を訪ねた。
出会った僧侶たちは、皆、気さくで、たくさん話をしてくれた。
何の話か忘れたが、5・6人の僧侶と一緒に笑ったのを覚えている。
彼らと出会った僧院のいくつかは、もう軍部に破壊されてしまったかもしれない。
「命」を最も大切に考え、それを教えている彼らが、自らの命を投げ打ってまで訴えようとしている。
このままでは終わらないだろう。終わらせられないだろう。
この国で、もっとも尊いものとして守ってきたものを、軍部は今、壊そうとしている。自分たちの権力を失いたくないから。
ミャンマーを、日本と世界は、見捨ててはならないと思う。

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September 13, 2007

青年海外協力隊OB会議

9月某日、シェイラを4人の男が訪れた。
彼らは、青年海外協力隊のOBである。
協力隊員などJICA関係者とは、研究会や講演で同席することも多く、知り合いが多い。
シェイラにもたくさんの協力隊OBが来るので、「世界と日本」をテーマにした会議が開かれることもある。
連れて来てくれた知り合いは、現在、某行政機関の議員をしている人だ。
2人がカンボジアのJICA施設に、1人はアフガニスタンに派遣されていて、今は、一時帰国で帰ってきている。
アフガニスタンに協力隊員は派遣されていないが、なんと50人ものJICAの職員や専門家が、現在、派遣されているということだ。
復興支援のために、農業、医療、教育、インフラ整備など、様々な分野で活動している。
その中の半数近くは女性だというので、さらに驚いた。
韓国人拉致事件が、一応収束したところだが、このことによって、アフガンに駐留する外国人が拉致され、交渉のカードとして使われる可能性はさらに高まってしまった。
日本は、アフガニスタンには軍隊を派遣していないので、軍撤退に使われる心配はないが、身代金要求に使われる可能性は十分にある。
日本政府は、アフガニスタン全土に退避勧告を出しているが、にもかかわらずJICA関係者は活動を続けている。
日本政府として、国際社会に対する責任を果たすために、復興支援活動は続けるということだ。
アフガンで苦しむ人々のため、さらに日本の国際的立場のために、彼らは命懸けで活動している。
このような事実が、なぜもっと国民に知らされないのか。
政府にもメディアにも疑問が残る。
シェイラ議事堂での会議は、その後も、日本の「政治とカネ」をめぐる問題や「戦後レジームからの脱却」について熱い討議が続いた。

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September 11, 2007

硫黄島

毎年8月には、戦争に絡んだテレビ番組がたくさん放送されるので、なるべく見るようにしている。
昨年封切りされたときに、とても興味を持ちながらも見ていなかった映画「硫黄島からの手紙」と「父親たちの星条旗」もレンタルして見た。
ついでに「男たちの大和」と「出口のない海」も見た。
それぞれにテーマに迫ろうとした作品だと感じられたし、クリント・イーストウッドというアメリカ人がこのような作品を手がけた意味は大きいと思った。
しかし、NHKのドキュメンタリー番組の何本かは、それらの映画作品を遥かに凌ぐ衝撃を与えてくれた。
特に「硫黄島 玉砕戦~生還者61年目の証言~」(2006年作)は重みがあった。
爆音や血しぶきが飛び散る映像などはなく、硫黄島からの生還者が、ただ淡々と静かに語るだけで、その悲惨さと彼らの思いが伝わってきた。
これが戦争なんだなあ、と思った。
これまで封印されてきた戦争の事実が、近年、ようやく語られるようになってきた。
日本のメディアや視聴者も、正面から受け止めようとする姿勢がとれるようになってきたのだろう。
事実を知り、そこから何かを学び取り、これからの路を探るのは、今しかない。

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September 10, 2007

夏のサッカー

夏のあいだには、サッカーの様々なイベントが行われた。
今年は、愛媛県と韓国で日韓スポーツ交流が行われたので、犬たち(シェイラに出入りするサッカー関係者)は、愛媛残留組と韓国遠征組に分かれ、忙しい日々を過ごしたようだ。

8月12日には、垣生中でOB戦をした。
匡がプレーするのは約1年ぶり。
40歳を過ぎたメンバーが集まり、中学生と死闘を繰り広げた。
おっさん側のゴールキーパーが、シュートを弾いて手首を骨折するという大惨事に見舞われたが、試合そのものは良かった。

19日には、余土中でOB戦をした。
この春に高校を卒業した、かつてのポックリーズ(最小、最弱を謳ったサッカー軍団。最終的には県大会に出場。)が結集し、余土中生と戦った。
最後の教え子たちとの再会を喜んだ。

21日から23日は松山市中学生サッカー大会が、市民グラウンドで行われた。
垣生中は予選リーグ2連敗で、2日目のトーナメントでは初戦に拓南中に敗れた。
これで終わりのはずなのに、話の展開で、3日目に津田中の監督代行を務めることになってしまった。
どうなることかと思ったが、始まってしまえば叫び倒しているいつもの匡だった。

9月1日、2日には、3年生最後の大会となるジュニアユースの予選リーグが、城西中で行われた。
初日は、城西中に1-0勝ち、砥部中に5-0で負けた。
2日目、道後中に2-1で勝ち、最終戦は、その時点でリーグトップを走っている椿中。
2-5で敗れたが、これまでで最高の試合内容だった。
2年前の夏に垣生中が雄新中に0-20で惨敗し、それが匡がコーチを始める引き金となった。
ずいぶんいい試合ができるようになったなあと思った。

現在、コーチとしては新人戦を目指し、プレーヤーとしても試合復帰を目指している毎日だ。

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8月のシェイラ

最近、お客の減少が危惧されるシェイラだが、8月は忙しかった。
日曜日にも要望があったため、15日までは休みなしで営業を続けた。
特に11日から15日までの5日間は、連日満席となった。
教え子が大量に訪ねてきてくれたのがその要因だが、城西中の24歳になる教え子たちが一番多かった。
15日の遅い時間帯には、客がすべて教え子という現象が起き、最終的には城西中の同窓会になった。
毎日楽しかった。
しかし、16日の朝方から匡の体が急変。食中毒に似た症状が現れ、寝込んでしまった。
16日は痛恨の臨時休業。この日にシェイラを訪ねて来てくれた人、すみません。
疲れがたまっていたのだろう。気をつけないかんと思った。

バーやスナックでは、「ニッパチ」と言って2月、8月は最もお客が少ないと言われている。
シェイラに限っては、8月は当てはまらないようだ。
倒れるほど忙しい8月だったが、9月に入ってからは暇な営業が続いている。

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August 08, 2007

バカボンのパパにさよなら

アニメ、天才バカボンのエンディングテーマを覚えているだろうか?
「…41歳の春だから~、元祖天才バカボンのパパだから~、冷たい目で見ないで~」
そう、バカボンのパパは41歳だったのだ。
ちょうど一年前、私は41歳になった。
そしてこの一年間、パパと同い年であることをずっと実感してきた。
8月7日、42歳の誕生日を迎えた。
シェイラは、たまたま火曜のサルサパーティーの日だったので、たくさんの人で賑わった。
花束、ケーキ、シャンパンにワインと、次々に贈り物が届き、みんなに祝ってもらった。
「このまま死んでもいいかな」と、ちょっと思った。
今日で、バカボンのパパは卒業なのだ。
ちなみに8月7日は、ドラエモンの「のび太」の誕生日でもある。

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August 07, 2007

柱谷 哲二 氏

8月5日、ヴェルディと愛媛FCの試合のために来ていた柱谷哲二さんが、シェイラを訪れた。
匡ごときと元日本代表キャプテンが知り合いのわけもなく、柱谷さんの大学の先輩であるイサムさんが連れてきてくれたのだ。
本来、シェイラの休みの日なのだが、何人かから来たいと、連絡を受けて開けていた。
四国のサッカー関係者も集合していたので、20人を超える大サッカー宴会となった。
酒の配給も大忙しとなり、犬たち(地元サッカー関係者)が一斉に手伝ってくれた。
柱谷さんにビールを注ぐときは、力が入った。
ずっとテレビで応援してた人だ。尊敬し憧れていた。
犬 「柱谷さんの写真、撮らないかんのじゃないですか?」
匡 「いや、プライベートなんやから、そういうのは失礼やろ。」
などと言っていたのに、人も減った会の終盤、大分打ち解けたこともあって一緒に写ってもらってしまった。
さすが「闘将」と言われた人だけあって、サッカーに対して熱い話を聞くことができた。
興奮の一夜だった。
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「世界の食について」

7月31日、城西中学校で、松山市小中学校教職員夏季実技研修会(学校給食主任会)が開かれた。
給食の先生相手に、しかも「食」について話すなど、全く初めてのことなので、いささか戸惑ったが、結局は好きなことを言い切ったように思う。
のっけから、「私が教員を辞めてよかったことの1つが、給食を食べなくて済むということです。」「給食のパンがパン屋さんに置かれていたら、タダでも売れないでしょう。」など、逆撫で的発言で始まった。
世界中の食にまつわる写真を編集したので、コオロギ、バッタ、アルマジロ、カピバラ、イグアナ、ウミガメなどの食材や、牛や羊の丸焼きなど、珍しいものを見てもらった。
また、食べ物もなく死んでいく子供の話や、南米で老夫婦からもらった握り飯の話などをした。
「真心のこもった握り飯の味こそが、我々が忘れてはいけない、大切な味ではなかろうか。」と、しめた。
ためになる話か、面白い話をしたいと思っていたのだが、涙まで流している先生も何人かいたので、意味はあったのだろう。
こんなんで良かったら、どんなテーマでもやってみたいなあと思った。
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「広げよう国際理解教育」

7月27日、宇和島で第5回愛媛県国際理解教育研究大会が開かれた。
この会では毎年発表させてもらっているが、南予での開催は初めてなので、新鮮な気持ちで臨むことができた。
定番の内容を発表したのだが、自分のなかでの時間配分がうまくいかず、最後が尻切れてしまった。でも、大体は分かってもらえただろう。
たくさんの人に知ってもらえたので、今後、南予からのお呼びが増えるのかなあと楽しみにしている。
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実は今回、前の晩から宇和島入りをしていた。
主催者の荻原先生から、「うちの親が作ったロッジで、前夜祭をやるので、来ませんか?」と誘われていたからだ。
滑川の山の中にそのロッジはあり、ご両親のおいしい手作り餃子が迎えてくれた。
愛媛県下はもとより、大分や兵庫からの人も交えて、遅くまで山小屋は賑わいだ。
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July 10, 2007

6月22日、愛媛新聞に載る。

6月20日、伯方島の伯方小学校を訪れた。
島内の小学校の合併記念として、講演させてもらった。
このことが記事として、22日の愛媛新聞に載った。
匡の質問に、小1の児童が答えている写真は、ほのぼのとして愛らしかった。

伯方島の住人は、船主さんが多いらしい。
それが驚いたことに、瀬戸内海の小船ではなく、外国航路の巨大な貨物船の所有者がたくさんいるのだ。
島のおっちゃんが、シンガポールやアムステルダムを飛び交い、英語で様々な交渉をしているとは‥!?
美しい海と空と緑の中で、すくすくと育っているこの子供たちには、世界をまたにかけて活躍する将来が、待っていたりもするんだなあ。

そして、校長先生に勧められて、帰りに食べた伯方の塩ラーメンは、素晴らしくうまかった。

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6月17日、敏隆、亜衣子の結婚式

この日の会場のペルラは、素敵な空間を演出していた。
あたかも自分たちはヨーロッパにいて、郊外の大きな屋敷でパーティーを開いているような‥。
しかし、残念なことにメンバーが悪かった。
敏隆の人生を振り返るがごとく集まった者たちは、野良犬を始めとした、獣臭のする、むさくるしく、品のない男ばかりだった。
乾杯やいなや、立ち飲み屋のノリで騒ぎ始め、罵声が飛び交う。
スピーチでは、結婚式でNGとされるすべての単語が飛び出した。
司会のマイクを奪ったり、スタッフの通信機をおもちゃにして遊んだり、ルールは全て破られた。
こんなときの匡の仕事は、暴漢の静止と、ボケに対する突っ込みである。
しかし、ほとんどのあいだ笑ってしまった。
主役の2人も笑っていたから、良かったのだろう。
ありえない、楽しい時間だった。
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6月16日、田中務先生を囲む会

「中矢夫婦を支援する会」の「名誉会長」になっていただいている(いた?)田中務先生がこの3月に退職された。
そこでこの日、懐かしいメンバーが集まってお祝いの会を開いた。
タイムスリップしたような、楽しい時間が過ごせた。
事務局・渡部夫婦と匡とで選んだ贈り物は、ノックバットと手袋、松井モデルの野球帽のセット。
以前「退職したら少年野球のコーチになるのが夢だ」と言われていたので。
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祝!退院

今回も、半身麻酔による手術だった。
へそから下の感覚がなくなるのだが、麻酔が効きすぎたようだ。
首の下まで麻痺したために呼吸困難となり、酸素マスクでなんとかおさまった。
手術自体はあっという間に終わり、ボルト2本が摘出された。
前回は、麻酔が切れてからの痛みが激しかったのだが、今回はそうでもなく、痛み止めを使わずにすんだ。
それでも翌日の水曜日は、歩くことができず、車椅子を使った。
木曜日になんとか歩き、6日の金曜日に退院。
その日の夜には、シェイラに立った。
店には、8ヶ月ほど匡の体の一部だったチタン製のボルトが置かれている。

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July 05, 2007

匡、退院します

明日6日(金)、退院します。
まだ歩くことも十分ではない様子ですが、(たぶん、本人は一日も早くお店に立ちたい一心で)
午前中に病院を出る予定です。もちろん、金曜日からシェイラに出るつもりです。まだシャキシャキ歩けませんので、しばらくのあいだ皆さまにご迷惑をおかけすることになると思われますが、本人は精一杯がんばりますので、ご理解のほどよろしくお願いします。
追伸 … この記事の前に、手術後すぐの写真を載せた書き込みをしたのですが、なぜか消えてしまっています。読めなかった方、ごめんなさい。写真だけですが、載せておきます。
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July 02, 2007

匡、再入院!

6月の記事は、まだ書くことがあるのだが、今は時間がないので後日書くことにする。
今から私は、松山赤十字病院に入院しなければならない。
前回、右足首に埋め込まれた2本のボルトを摘出するのだ。
7月2日から入院し、3日に手術が行われる。
5日か6日くらいに退院するつもりでいる。
今回、シェイラは、入院中も開ける予定だ。
従業員にやってもらうのだが、心配ではある。
早く店に戻ってこなくては。

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サッカー 中学市総体 

6月12日、中学市総体が開幕した。
匡が外部コーチを務める垣生中も一回戦を迎えた。
そして、津田中に0-5で敗北。
ボロ負けだが、垣生の子供たちは以前より頑張るようになったなあ、と思った。悪い試合ではなかった。
4日間の大会で、優勝したのは、三津浜中と小野中。
特に、小野中と雄新中の決勝戦は見ごたえがあった。
結婚を2日後に控え、波に乗る雄新中監督の敏隆であったが、すべてを手中におさめることはできなかった。
県総体が楽しみだ。

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June 08, 2007

松山市PTA連合会   会長副会長会

6月3日、青少年センターに講演に行った。
松山市内の小中学校の、PTA会長さんと副会長さんが、200人から集まる会で話させていただいた。
いつも生徒にしているような内容にしたが、相手が大人で、しかもモチベーションの大変高い方たちだったので、こちらも自然と力が入った。
普段は話さないような深い内容や、自分の心情も、ストレートに話すことができた。
真剣に聞いてもらえたし、充実感もあった。
が、もっと気になったのは、話を聞いた人たちが、何を考えたか?
教員を途中退職し、世界中をフラフラとまわり、今は飲み屋をやっている男の話は、親の代表者たちにどんな風に映ったのだろう。
本当は、感想文でも集めたい気分だ。

あとの懇親会では、連合会の会長さんや市の教育長さんと同席し、来賓として全体に紹介もされた。
こんなたいそうな扱いを受けることは、私の人生では、そうはないだろう。
うれしかったのは、参加者の中に、高校の先輩や後輩、高校時代のサッカーのライバルなどがいて、次々とあいさつに来てくれたことだ。
この日は日曜日で、うちの店の休日でもあるのだが、何人かの人たちが是非シェイラに行きたいと言ってくれたので、一団でシェイラに流れた。
旅の話や人生の話など、みんな明日は朝から仕事なのに、遅くまで盛り上がってしまった。
こんな出会いが持てたのは、本当に良かったなあと思う。
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May 24, 2007

松野中での講演

5月18日、松野中学校に講演に行った。
市町村合併で、よく話題に上る松野町だが、こじんまりとした台地は、静かで日当たりがよく、空気も澄んでいた。
人が暮らすには、最高の環境に思えた。
中学校の生徒たちも純朴で、今回、世界の衣装を着てもらった生徒たちも、恥ずかしそうに各国のあいさつをしてくれた。
青少年赤十字登録式の啓発活動の一環として、全校生徒を対象に話をした。
帰りにイチゴを買った。
今の時期、店ではイチゴのフローズンカクテルが人気だが、松野産のイチゴもいい評判だった。

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5月5日

松田勝盛先生が亡くなられた。
連絡を受けてすぐ自宅に伺った。
先生は眠っていた。
6日がお通夜ということなので、受け付けを手伝わせてもらうことになった。
7日の葬儀には奥さんから頼まれ、弔辞をさせていただくことになった。

松田先生には、私が垣生中学校の生徒だったころからお世話になった。
高校受験の面接練習のとき。
松田先生の「将来どんな職業に就きたいと考えていますか?」という質問に、「中学校の教師になりたいです。」と答えた。
先生は「ほーか。お前先生になりたいんか。それはええわい。」と、面接練習を止めてしまった。
「お前が先生になるまで待っとろわい。一緒の学校で先生やろ。それまで、わしは先生を辞めんけんの。」と言われた。
7年後、私が新採教員として赴任した津田中学校で待っていてくださった。
約束は実現した。
中学生のときも、教員のときも、数え切れないほどお世話になった。
弔辞で先生にあいさつをさせていただいたとき、最後に言った。
「それでも、わしは松田勝盛の教え子やと、胸を張って生きていきますので、空の上から見守っていてください。」

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April 26, 2007

イエメンTV その5

撮影終了。
我慢していたヤジ馬も歓声を上げた。
ディレクターとは、最初に英語でやり取りしたが、あの部分もオンエアされるのだろうか?
そもそもイエメンにテレビ局があったのか!?というかテレビ持っている人がいたのか?
もしかすると彼らは、アルジャジーラのスタッフか?
いや、カメラにCNNと書いていなかったか?
どこのテレビ局かすら聞いていなかったので、数々の謎が残されたままである。
帰国後、BS1やCNNを見ているが、私の姿は当然映らない。
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イエメンTV その4

タダシ  (こんな感じかな?)
カメラマン(完璧!)
ヤジ馬たち(すごい!)
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